京都でよく言われることは、
- 京都人は新しいものが好き
- 新しいものと古いものが混交しているのが京都
なんてことだけど、違うよ、大多数の京都人は古いものに愛着なんか持ってない。古くて過ごしにくくて面倒な古い建築物なんかさっさと取り壊してしまって、新しく住みやすい現代的で綺麗な住居やビルを建てたいと思っている。混交しているのではなくて古いものが消えていく過程と言うだけだ。特に市街地の中心部ではそうで、街並みがどんどんマンションストリートになっていくのを止める手段はなにもない。ところどころに、思いついたように「歴史的建造物」に指定された建物が残されているだけで、むしろ指定される前に取り壊してしまおうという感じの方が強い。
「そんなつもりはない」という京都人の反論があるなら聞くけれど、その反論をする前に京都市中心部を歩いてみて欲しい。丸太町、河原町、四条、堀川で囲まれた正方形くらいの範囲で良いかな。どれだけの数の建物が取り壊され、以前あった建物とは似ても似つかない建物に建て替えられているかわかるだろうか。それが京都だと言われたら仕方ないけれど、僕はとても残念に思っている。毎年、毎日、思ってる。せめて木造から建て替えられた、大正や昭和初期のコンクリート建造物くらい保管出来ないものかと思うけど、公共性の高い建築物である場合を除き、そういう建物も割とあっさり取り壊される。古くなったものは常に新しいものへ。
だから、観光地に行くとそこが京都ではないようなめまいさえ覚える。そこに残されているのは京都ではなく、京都だったものだ。観光地といわれる場所に京都だったものを残しさえすれば観光客は来るから、京都人は京都的なものを京都という街中に残すことに余り執着がない。「京都と言えば町家」なんて言われるけど、一部の志のある不動産屋や建築事務所、また意欲ある経営者が熱意でもってそれを保護しようと努力している場合を除き、更地にされマンションへ代わる運命だ。貴重な建造物は毎年減っていて、そして、二度と戻らない。
京都人は古いものを壊すのが大好きだ。守っているのはそれが目に見える利益になる時だけだ。京都も京都人も大好きだけれど、そういう姿勢を見続けるのはとてもつらい。なぜもっと、古いものも大事にしようとしないのか。とてもつらい。