それぞれのスタイルの例。
散文詩的
起動を忘れてしまうこともありつつも、大体毎日、なにがしかの報告はしているTwitter。
ふとしたときにふと書き留めておける、そんなツールとして便利だし、
どうせならそのままログとして流してしまうのではなく、
エントリとしてまとめて、blogなりなんなりに保存しておけば、
後々見返して、何らかの良いこと、
── 例えそれ自体に価値が無くてもそれをきっかけに何かが閃くことはある ──
が起きるような気はしてるのだけど、
まぁでもログを眺めてみるに、僕の場合、
『出勤』『昼飯』『退勤』以外の何も書いてないわけなので(苦笑)
(そして自宅では起動してることは滅多にない)
これをブログにアップしてもあんまりかなぁ、と思う。
ブロック状
そんなことを考える僕の「元」になっているのは何なのだろうと考えてみるに、多分、大学生になって一人暮らしを始めた最初の時の『解放感』だと思うのですよね。それは今でも忘れられない。両親が来て引っ越しをして母親はその日片付かない部屋に泊まってくれて翌日ようやく大分片付いて、両親が実家に帰り部屋に一人きりになったときの何とも言えない解放感。それで寂しさを感じる人もいるみたいだけど、僕はその最初の時から今に至るまで1回もそれを感じたことが無いんですね。自分がしたいことを自分がしたいタイミングで自分がしたいだけ出来る、そんな快適なことは無いじゃ無いですか。
社会人になって人並みに給料を稼ぐことが出来れば、金銭的な意味では一人暮らしをするのは難しくは無いと思うのですよ。仮に手取りが20万しか無かったとしても、ワンルームの家賃(5-8万くらい)を出すのは楽勝でしょう。敷金、礼金で2ヶ月ずつ取られて、引っ越し費用に5万かかったとしても引っ越し費用は総額で30万くらい。半年貯金すれば充分に貯まる額です。だから、特別な事情なく実家にずっと住んでいる人というのは、独立したくないということでそうしているという理解なのですが…やっぱりよくわからないな。独立しちゃえば良いのに。その方が、社会の広さも自分の非力さも親の有り難みも自立することの意味もわかるってもんです。特に親とトラブルを抱えている人には、独立することで一旦距離を取って見つめ直すことをオススメしたいですね。
改行多し
【バンコク旅行記2012】 最終日(中編):ガイトーン・プラトゥーナムで絶品カオマンガイ | mutter
おかずは色々あったんだけど、タイ語が喋れずわたわたしていておかずをしっかり吟味する余裕がなく…今見るとなんだか美味しそうなおかずがいっぱいある。あれも食べたかった。これも食べたかった。しかしまぁ、「コー・カーオ」(ご飯ください)といっておかずを2種類指さして注文出来た(これが一般的っぽい。ご飯と惣菜2種の定食)ので良かった。
しかもめっちゃ美味しかったし!1人45B(130円)。
正直「お腹弱いこだし、屋台でご飯食べるとかハードル高いかしら…」と思ってたのですけど、全然平気でした。唐辛子とかスパイスとかにはずいぶんとなれているので、水と氷にさえ気をつければどうやら大丈夫っぽい。良かった。
ちなみに食べたところは店なんだか路地なんだか分かんないところ。
きっかけはバンコクのあれこれを書いていた時のことで、写真がありテキストがありという構成でツメツメだとどうしても見づらく、結果としていつもの2倍ないしは3倍の改行をあけて配置していったのです。そしたらばこれが意外に読みやすい。あら、今まで改行を詰めすぎてたのかしら…これでも以前に比べると行高を大きくして余裕ある見栄えにはしていたつもりなのですが…
あんまり改行し過ぎると、かつてあったテキストサイトみたいに「中身すかすか」「これ面白いでしょう」風の痛い見栄えになってしまうので注意が必要ですが、それでも区切るところはもうちょっと思い切って改行開けていっても良いかもしれないですね。1段落はつとめてブロック状に記述し、ブロックとブロックの間は思い切って改行開ける。
こ れ だ !
まぁそうは言ってもまた何年後かに見返すと「なんでこんな風にしてたんだろう…」と思って全部書き直したくなるんですけど、まぁ今はこれがよく見えるからまぁいいや。ちなみに昔のテキストはたまーに書き直してます。何かにくっついて上がってきたタイミングとかで。ある程度は諦めよねー