来年の今頃には後輩が僕の役割を担うようになっているだろう

最近、新入社員の入社が多いうちの会社です。

別に景気が良くて社員が増えているというのではなくて、古参社員やバイトが抜けるのに合わせて「第二新卒」的な人間を積極的に採用していると言うことなのですが、なにぶん彼らは優秀でも実務経験がほとんど無いのでそれなりの教育が必要になります。会社としてはまっさらな状態である程度の職責を与えて自覚を促し、本人のレベルアップを望むというスタイルのようなのですけど、なにぶん実務経験がない人間の「まっさらな視点」なので余り当てになりません。「客観的」と「知識がない」とを混同すると火傷します。日本の政権交代じゃありませんけども。

しかしそうはいってもそこは20代前半でやる気があり、論理的思考や言語能力、コミュニケーション能力などで水準以上の能力がある若者たちなので、日々成長しています。正直会社の期待が過大じゃないかと思う場面もありますが、周りが適切にサポートしていけば1年後にはそれぞれ会社の屋台骨を支える人材になってくれるでしょう。僕ら中堅社員にとってはその「適切にサポート」という部分が難しいのですけれど、そのことも含めてとても楽しみにしています。


そんなこと思って後輩の仕事ぶりを眺めている昨今なのですが、最近よく感じるのはなんというか「枠」を感じるということ。社長と1対1で企画に取り組むことが多いためにそうなりがちなのでしょうけれど、思考がこの図の具現化から外に出ていないのですね。

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図には企画の「start地点」と「end地点」が示されています。企画を組み立てる仕事というのは、この2つの地点を「どんな方法で」「どんな手順で」結びつけるか?ということに尽きると思うのですが、僕らのような人材に乏しい零細企業ではそれでは足りません。これに加えて、

  • 「start地点」はここで合っているのだろうか?
  • 「end地点」を変えるという選択肢はないのだろうか?
  • 手順がこの「枠」をはみ出したって別に良いじゃないか

という着想、発想がないと上手くいかないんです。

そもそも最初の設定自体が大した根拠にも基づかずにざっくり描かれたものですからね…それを鵜呑みにしているとその最初の設定のレベル以下の結果しか出ません。それじゃダメなんですよね。なんでも反対すれば良いと言うことでもなく、設計図のレベルを考えないと行けないという。いっぱいいっぱいでそこまで余裕がないと言うことなんでしょうけれど。


僕も今月で35歳ですしね。おっさんにならないと見えないことはあるかも知れません。だけども会社にいる同年代の人たちの仕事に対する姿勢を見ていると、真面目だけじゃダメなんだなとも思います。「そういうことが見える時期」というのはあって、その時期を逃してずるずる年を重ねていったあと、見えるようになろうとしてもそれはなかなか難しい。今さら「大きな視点」を求めるのは無理です。とても真面目にやっているけれども、よく見ると日々の決まった仕事を如何に効率よく行うか以外の発想はありません。

こういうのは、多分、若い頃から鍛錬して初めて身につくもんなんでしょう。サッカーに例えて言うなら「戦略眼を育成するのに適切な年代というのはある」ということでしょうか。


つうわけで、来年の今頃には僕のそういう役割は全て後輩に譲って、僕は別の仕事をしているでしょう。そうだといいなぁ。期待の新人たちです。ええ。