真面目に議論しない人たち

 大企業の昇進システムやら企業風土やらも同じ、プロ野球の体質も地方自治の現状も、どうも「なんとなく」の空気感で、同調圧力があり、それに背くとKYと呼ばれ、うっかり出過ぎると叩かれる。真面目に議論をしないので、制度を変えないための先例主義みたいなのが跋扈してしまう。

 いや、先例がいけないって言ってるわけじゃないよ。でも、その先例が不合理だったら修正をかけましょう、というのが進歩だと思うので、そこに何らか議論が挟まって然るべきだと考えるのだ。だけど、東電にせよ他のあらゆる行政改革にせよ結構似たメカニズムで改革の機運が萎え、合理化の芽が摘まれてきた事実はみんな良く知ってる。

 しかも、これって既得権益とかそういう文脈だけの話じゃない。片田舎の役所でも都会の企業組織でも役職に権限がついて稟議がある限り必ずついて回る問題だ。意志決定における、非合理性の問題、それが日本が伝統的に抱える病理なのかも知れん。
 


隊長の文脈とは違うかもしれないけど、最近感じたことを思い出したので。



最近聞いた言葉にかなり印象的なものがありまして。かいつまんで言うとこんな感じ。

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Webで行われてる議論てみんなただの暇つぶしで無駄だよね、と言われた。そうですかねーと否定的に返したけど、見てるサイトの具体例がtogetterと言われて深く納得した。というかアレはそういうやり取りを生暖かく見守るサービスです。発言小町みたいなもん2011年4月21日 22:30 via Twit for Windows




まぁ言いたいことは解らんでも無いです。別段専門家でもなく、専門知識もない人間が、わあわあ言ってても時間の無駄だから、わからんヤツは黙って自分の仕事をしてろよ、ということなんでしょう。「専門知識がない人間の議論が正解に結び付く可能性は低いし影響力もない」という点においては、理があるかなと思いますが、しかしそのことと、非専門家が議論したり考えたりすることとは両立しうると思うのですよね。むしろそういう餅は餅屋(だから餅屋以外は餅を語るな)的な考え方が行政全般を官僚に、政治全般を政治家に任せきりにする国民性の基礎になっているんじゃないの?とすら。

専門家を軽視するのも間違いだとは思うけど(政治主導(笑))、どっちかじゃなくて両方だろうと。専門家から何かが出てきたときにそれを考えられるように準備しておくのは大事じゃないの?それをやらなかった結果が原子力行政じゃないの?

まぁ、Togetterにそういう有益な議論ばかりがまとめられているかって言うと笑っちゃうけども(苦笑)
(基本的にネタとか煽りとか優先だからね)



さらに言うと、黙って自分の仕事してるヤツが自分の仕事について真面目に議論してるかとか言うとまぁ全然そんなわけ無くて、経験上で言うと、触りやすい話題(例えば政治とか)について考えたり議論したり出来ない人間には、それ以外のことについてもきちんと考えることが出来ないんだよね。選択して議論していないのではなく、単純に議論をして改めていくことが好きではない、慣れてないから求められても出来ない、という。とりあえずだるいしだらっといけばいいんじゃね?的な感じ。

なんだろうなー。論点は何でも良いから、先例って言うか現状の善し悪しを議論して改善点を変えていくっていう習慣を身につけていった方が良いんじゃないのかな。そりゃ、僕らがする政治に関する議論が政治改革には繋がらないかもしれんさ。でもその習慣が僕らの生活や仕事の進め方をよりよいものにしてくれるかも知れないじゃないかと。そうしたことを、10年単位で繰り返していくことで国民にそういう習慣が根付いて、最終的に政治改革にも反映されていかないかな。希望持ちすぎかな?


最近、ドイツの電力政策が注目される機会が増えてるけど、あれは知識だけで達成されたことではなくて、きちんとした合理の積み重ねで導かれた結果だと思うのよね。内容は全く違うけど、フランスの原子力政策もそうじゃないかな。そこには専門家の議論も必要だし、国民の同意も必要だし、そうしたことをトータルに踏まえた上で舵を切っていった結果がそれという。そこが日本との違いなんじゃないのかな。

日本人にだって出来るはずだと思うんだよ。頭は十分に良い。日本は日本人の能力から考えてもそれが出来るはずなのにただ単にだるがってしてないっていう思いがあって凄く歯がゆい。


ま、そんな戯れ言。