エジプトの件で思ったこと ― 海外メディアの伝える内容だって、よく見る必要があるのですよね

エジプト軍部がなぜ巧妙に偽装したクーデターを画策したのか。その背景を知るのに、ニューズウィーク記者クリストファー・ディクニー(Christopher Dickey)氏の、13日付けニューズウィーク記事「The Tragedy of Mubarak」(参照)が興味深いものだった。いくつか気になったところをメモしてみたくなった。ちなみに、今日付けの日本版にも抄訳が載っているが、かなり記事に手を入れている。まあ、それはそんなものかな。
 NHKのニュースなどでも、ムバラク元大統領に関連する欧州銀行口座が凍結されたみたいな話があり、それを聞いていると、ムバラク氏もかなりの不正蓄財がありそうにも思えるが、そうでもないらしい。
 


引用したのは今回のエジプトの件に関するfinalventさんの見解。

安易な陰謀論に陥るのを極力排除しつつその上で客観的事実から推論を立てておられてなかなか説得力があるなぁと思うのですが、正直、僕には真実がどこら辺にあるのかまではよく解りません。だからまぁ、「そうなのねー」程度の感想しか抱かないのですけれど、ただ海外メディアの報道の仕方や内容を見ていて、海外メディアだってメディアなんだから主観は当然あるし偏向もあるし中身をきちんと見ないとダメだよね、と言うのを強く感じました。いやもう本当に当たり前の話なんですけど、今まであんまり意識的に考えたことがなかったので。



あんまり知らない話を知ったかぶって書かないように慎重に書きたいと思っているのですが、なんでしょう、今回のエジプトの件で僕が一番違和感を感じているのは、BBCやアルジャジーラの報道を通して、「体制打破のために頑張るエジプト国民を応援」「長年圧政を敷いてきた独裁政府が倒れるカタルシス」みたいな単純な感想をTLでよく見かけることなんですよね。友人でもそういうツイートしてる人が一杯いるんであんまり書くとアレなんですけど、問題の構造を少し調べれば、そんなに単純な話じゃないってのは比較的すぐにわかると思うのです。東欧革命と完全に同じ構造ではないと思うのですよ。それがなぜそういう発想になってしまうのか?

体制に反旗を翻し、警察による圧力の中必死に頑張るエジプト国民が可哀そう、助けてあげたい、そう思うのは別に自由なんですけど、その運動が正しい方向へ向かっているのかどうかはよく見た方が良いんじゃないの?と思うのです。下手すると、熱狂した国民が崖に向かって突進しているのを後押ししているのかもしれないじゃないですか。「民主化運動=良いこと」という思いこみは僕にもありますし理解できますけど、それでも何が起きているのかを考えるのは大事だと思うのです。東欧の共産主義を打倒したのが民衆なら、ナチス・ドイツを支持したのも民衆です。問題は民衆が動いたことじゃなく、中身じゃないんでしょうか。


で、なんでそんなことになっているのかな、と思うと、やっぱり海外メディアだと思うのです。日本のメディアはそんなに熱心に伝えてないのでBBCとかアルジャジーラとかロイターとかになると思うんですけど、国内のメディア(例えば朝日新聞)が伝える情報は信じる前に一考する癖が付いている人でも海外メディアの情報は比較的鵜呑みにしがちじゃないでしょうか。僕がそうだったからお前らもそうだろと言うつもりはありませんけど、なんとなくそんな印象を受けます。海外メディアが現地から伝えた情報は客観的であり、事実であり、それから受ける印象は正しいというような。

でも海外メディアだってメディアですし報道機関なわけなので、当然主観はあるし新聞ほど解りやすくないにせよイデオロギーだってあるわけです。自国の利益のために活動しているとまでは言いませんけれど、刺激的な絵が欲しく、話題を大きく捉えたいと思うのはどのメディアも同じで、何をどういう構図で切り取ったら効果的かを考えるのはメディアの本能だと思うのです。ほとんどの場合それは問題にはなりませんが、しかし、切り取られた構図が問題の全てを語るかというとそんなことはないわけで、それがどのメディアの発信であれ、受け止めた人間には考えることが要求されているはずなんですよね。日本のメディアより立派な活動を普段からしているから、報道内容は無条件に信じられるってそれ思考停止そのものじゃないですか。その流れで問題について考えようと語るのは笑止というものでしょう?


エジプトの問題が実際にはどういう内容で、今後どういう展開になっていくのかは、僕にはさっぱり解りませんけど、それでもこのことに気づいたことは個人的には価値があったなぁと思っています。