Webに依存しすぎずに、その時出会った文章に目を通し、感動する。

あーやっぱWebってすげぇ。

たった2日間実家に帰っていただけで、そのあとの忙しかった2日を足しても4日くらいWeb巡回してなかっただけなんだけど、そのわずかな4日の間に示唆に富む文章や、素晴らしい世界観の動画や、なんてことはないのにどこか面白いつぶやきや、美しい画像や、そんなものが溢れていてなんだか凄く感心する。ほんのちょっとの時間なのに。

ベテラン看護師に問われても、わからない命のこと。


でもやっぱり思うのだけど、「何か面白いものはないか」「あれ見逃してるから全部今から見返さなきゃ」とか思いながら情報を収集して回るのはどこか間違ってると思う。人によるだろうけど、僕にとっては出先でiPhone片手にRSSの未読処理をするとかもなんかおかしいと感じる。その「出先」でしか出会わないことだってあるでしょうにね。

それを見逃して感受性も情報強者もないもんだわ。


別に最先端に立って情報を回収し続けなくたって、情報の85%は別に必要がないもの。
んで残りの15%のうちの殆どは、後で目にする機会があるもの。ちょうどTumblrのダッシュボードと同じで、本当に価値のあるものはいずれもう一度目の前に表れるし、例え表れなかったとしても他の価値のあるものがすぐ目の前に出てくる。

[Tumblr] Tumblr中毒に悩んだら



だからまぁRSSリーダーを開いてみて自分にとって負担になるほどの数未読溜まってたら、黙って「既読にする」ボタンを押したらいいと思うよ。Twitterのログも、アクセスした今読める範囲のだけ読めばいいと思うよ。Tumblrもそう。メールはさすがにそういうわけにはいかないけど。

読んでないエントリやツイートやポストが良いか悪いかなんて読むまでわかんないんだから、読んでない今現在にしてみればどうでもいい話。そんなことより大事なことは多分他にあるし。処理しきれないんだったら、巡回先を減らすべきだし。


「そこにアクセスしないと面白いものに出会えない」という依存的な考え方でなく、「アクセスしたときに面白いものに出会える」と捉えるべきで、アクセスしないときにも生活はあって、色んなことは落ちていて、と言うことをきちんと考えるべきだなぁと思ったわけです。10年前だったらどうかわかんないけど、今は、ずっとそこにいなくてもたまたまを狙うだけでも十分面白いことに出会える、それだけの数の人がもうそこにはいるなぁと。

なんかそんな感じ。