僕は子供の頃から「気が短い」と言われて育ちました。
ただ無根拠に言われただけではなくて、実際に喧嘩になったり周りが見えなくなって人に迷惑を掛けたりすることがあり、ふて腐れたりすることも多くて、自分としても自覚があったので、反抗期が終わった20歳前後からそう言う自分の性格を何とか直せないか、直せないにしても表に出ないように出来ないか、そう思ってこの10年ちょっとの間過ごしてきました。
具体的には、感じたことをすぐ口に出すのではなくて自分でよく考えるとか、言われたことに脊髄反射するのではなくて一度受け止めてからリアクションするとか、そんなこと。ひとによってはごく自然に出来るようなことでも僕は難しくて、大人になってもやっぱりそれで失敗することは何度もあり、20代前半の頃に左京区のとあるバーでたまたま同席した人に嫌な思いをさせてしまったり(自分の好奇心が相手にどんな不快な思いを抱かせているか、想像できなかった)、イベントのミーティングが無駄に白熱してしまったり(それについては主因は僕ではないと今でも思っているけど)、なかなか上手くいきませんでしたが、ここ何年かは、自分の「意見」や「考え」を相手に伝えるために効果的な言葉を選択したり、自分とは違う意見をぶつけられてもそれに同意したり冷静に反論したりすることが出来るようになりました。
人間ってやろうと思えば変わるもんですね。
でも、
半年くらい前にふと気づいたことがありました。
確かに、自分の考えていることを論理的に説明したり、感じたことに理屈を付加して「意見」として組み立てたりすることは出来るようになりましたが、結果として出てくるその「考え」や「意見」が果たして自分の「感じたこと」を上手に反映できているんだろうか?
そうしようと思って取り組んだことなんだからそうなって当然なのですけど、何かについて感じたことを冷静に言葉に置き換えようとすると、一番最初に「感情」つまり「理屈に合わないけどそう感じた」ということをそぎ落とすことになります。そしてその時の事情、周りの状況などを加味しつつ、僕はそう考えたけれども意見としてはこれが正しいんじゃないの、と言う選択になりがちです。
それが自分の「感じたこと」と一致していればよいのですけど、あまりに多くのことを考えてしまうとバランスが崩れて、自分の感覚と乖離してしまう気がするのです。もともとは「感じたこと」を言葉にする目的で始めたことなのに、結果的には「感じたこと」を否定するような。それはきっと他人との関わりにおいて無難ではあるけれども、僕の中では違和感のある、本末転倒な、「正しくない行為」なのですよね。
所詮、自分が自分一人で考えたことの結果なのですから、「意見」や「考え」が正しいかどうかは、それがいかに尤もらしくても、自分には解りません。でも自分には解りませんが、それを聞いた他者はそれが僕の「意見」であり「考え」であり「感じたこと」であると受け取ります。「意見」や「考え」と「感じたこと」とが乖離すると、自分の言ったことなのに、相手のリアクションと自分の感覚に違和感が生まれてきてしまいます。
一方で「感じたこと」の方にはそれが正しいか間違っているかという議論がそもそもありません。「感じたこと」が我が儘だとか自己中心的だとか「よろしくない」ことはありますが、それが存在したこと自体は動かない事実であり、確かにあったと僕自身は知っています。それにブレはありません。僕はその「感じたこと」を相手に伝えようとしているはずで、その事実は動かないはずなのに、相手に伝えようとする過程でそれを否定することになってしまうのはやっぱり何かが間違っているのだと思うのですよね。
あまりに自分の中の感覚的な話すぎて、誰にも無価値なエントリになっているような気がしますけど、僕にとってはかなり大事な話です。自分が思ったことをそのまま伝えてはいけないのではないか、そう思ってやってきたのですが、一周回って考え直してみると、子供の頃の自分は単に周りが見えていなさすぎでトラブルになっていただけで、自分としてはやっぱりそれが「正し」く、居心地がよいバランスだったんじゃないかと。
「感じたこと」を過剰包装したあげくに相手に伝わらないと嘆くのは本末転倒であり、装飾無しの「感じたこと」から始めて、それをどうすればとげが刺さらないように相手に渡すことが出来るか?というバランスで考えて喋る方が良いんじゃないかな。
そんなことを思いながら、「感じたこと」をなるべく率直に口に出した上で、そこから「考え」に至る過程を説明し、自分が間違っているかどうかは相手と決めようとしてみたのですけど、そもそも「感じたこと」を率直に言われて相手が気分が良いわけはなくて。なかなか、難しいです。やっぱりこれは間違っているのかなぁ。嫌いな人や嫌われても全然構わない人にはなんだって言えるんですけど、そうではない人にはできなくて。
こんなことをちまちまと考えている僕は若干、偏執的な感じがしなくもないですけれど、人とのコミュニケーションが余り上手くない自分にとっては、きっと死ぬまでずっと試行錯誤していくことなのかなぁとも思います。
ちなみに「「感じたこと」を率直に」と言っても、web上での発言と、仕事での発言、この2つは例外です。前者は多くの場合それが全く良いことにならないことを僕はよく知っていますし、そもそも公共の場です。後者は、相手に伝えることがゴールではなく、最終目標は仕事を円滑に進めて利益に結びつけることなので、自分が間違っていようが正しかろうが余り大したことではありません。それよりかは、理屈に合っていて誰もが納得できて結果を出せることの方が重要だと考えています。