鬼ごっこの心理

(画像はイメージです)


家の向かいが児童館なので、休日の日とかに子供が遊んでるのを眺めてることがあるんだけれども(怪しい人ではありません…)、子供の遊びってのは面白いね。大人の理屈みたいのではなくて、自分がどうしたいかみたいなところで成り立ってるのが実にわかりやすくて良い。いやむしろ大人にとっては解りにくいとも言うけど。


「鬼ごっこ」は誰しも子供の頃にしたことがあるんだと思うんですけど、結構色んな種類がありますよね。「鬼ごっこ」または「鬼」がついてなくても、「缶蹴り」とか「かくれんぼ」とか「だるまさんが転んだ」とか、「鬼」を1人決めてやるようなヤツは大体同じような種類。


んで見ていて思うのは、なんだろう、例えばこういう種類分けが出来るような。

  • 鬼に捕まったら捕虜として助けてもらう(またはゲームが終わる)のを待つ
  • 鬼に捕まったら自分も鬼の仲間となってゲーム終了に協力する



助けを待つよ派

前者の代表的な例は、例えば「かくれんぼ」とか。

通常、鬼が全員を見つけるまでそのゲームは続いて、全員を見つけたところで新しい鬼を決めて新しいゲームが始まるって言う流れ。捕まった人はとりあえずひたすら待つ。早く次のゲームをやりたいと思いつつも、何も鬼に協力する必要はないので、なんか他の遊び始めちゃってたり。



覚悟決めて鬼に協力するよ派

一方で後者の代表的な例は、「手つなぎ鬼」とか。

鬼に捕まった人は、鬼と手を繋いで鬼の仲間となって、残りのメンバーを捕まえるのに参加する。普通に考えると「オンドゥルルラギッタンディスカー」的な状況なわけですけど、そこんとこはドライなアレで、待ちぼうけ食らわせられるかくれんぼとは違ってそのゲームを終えてゲームに復帰するために積極的に参加できる。子供の遊びにそんなの持ち出すなって言う話なんですけど、その辺あっさりしてんのよね。立場とか別にない。



そもそも楽しいじゃん

大人から見ると、打算とか義理立てとかなんかそういういやーな言葉が混じりそうなアレでも、ていうかルールそうなってるし、そもそもそっちで動いた方が楽しいでしょ的な感覚になんだか目鱗。だよね。待ちぼうけとかめんどいよね。

なんかそういうの良いなーとか思った休日の午後だったんですけど、考えすぎですか。そうですか。


大人の世界は面倒だなぁ。