【読書感想文】 鈴井貴之 / ダメ人間 ~溜め息ばかりの青春記




ミスターこと鈴井貴之さんのこれまでを描いた自伝的エッセイを遅ればせながら読んだのだけど、これがなんというか、誠に面白かった。ミスターすげぇ。

当然のことながら僕は全然知り合いではないし、札幌にいたわけでもないから「水曜どうでしょう」以前のミスターや、ラジオパーソナリティとしての鈴井貴之も知らないのだけど、そうかー。


「根拠のない自信」と「自己嫌悪」。


これを読んでたとき、ちょうどもの凄く落ち込んでたときで。なんて言うかね…ミスターほどじゃないけど(ミスターほど人生賭けてないからかも知れない)、自己嫌悪することは凄く多くて、ただ失敗したときよりも自信があって上手くいかなかったときの方が凄くそれが大きい。調子に乗ってた自分とか、周りが見えてなかった自分とか、そういうの。すごく「ああああ」ってなる。ため息もしょっちゅうつく。付き合ってる彼女には、「始めは私が悪くてため息付いてるんだと思って悩んだけど、癖だと思って諦めることにした」というようなことを言われた。どんだけー。


でも、ミスターは書いている。

後悔、自己嫌悪こそ前へ進むのに必要不可欠な浄化作用と考えられる。


んーそうか。

「自己嫌悪」は現実から逃げて投げ出すときに感じていること。その「自己嫌悪」からさらに逃げても…仕方がないんだよな。「自己嫌悪」しないようになればそれが一番良いんだろうけど、それはなかなかに難しい。


だったら、それを受け入れれば良いんだよね。


「自己嫌悪」する自分は仕方がない。それはもう変えられない。大事なのは「自己嫌悪」したあと何を考え、どうしていくかってことなんだろう。人間は成長するって言うけど、でもまったく成長しない部分も持ってて、同じようなミスを何回も何回も繰り返す。そこでミスを繰り返さないように考えて、またミスをして、悩んだりする。

でもさ、それごと受け入れちゃえば良いんだよな。ミス自体は良くはないけど、それも仕方がない。大事なのはミスをすると言う現実の中で結果としてどんなものを作り出せるかってことなんだろう。

そうしていけば、自己嫌悪してため息をついたその後に、笑顔になれる。「自己嫌悪」は結果ではなくて過程。何がダメで何をしたいかがクリアになる過程。



本書で書かれている「鈴井貴之」は確かにダメ人間かも知れない。実際には恐らくもう少し違ったとは思うのだけど、ここで描かれている姿をそのまま飲み込むと全てがモラトリアムな。そしてそれをあるべき姿に引っ張っていったのが、副社(鈴井夫人)ってことなのかなと。でもそれはきっと必要なことだったんだろうな。自分にも「人生を休んでた時期」ってのがあるけど、それが今でも自分で後悔になってるけど、同時にそれのおかげで今やってけてる部分もあって。きっとそういうことなんだろう。僕には年老いた「自己嫌悪」は見えないけれど。



ミスター、ありがとう。