今JASRACを潰してはいけない

JASRACは日本の音楽著作物をほぼ独占的に管理する団体(社団法人)で、通称「カスラック」などと呼ばれてかなりの悪者になっていることが多いのですが、僕個人はJASRACは批判されてしかるべしとは思いつつそれを潰すようなことは今はするべきではないと考えています。

JASRACに対する評価としては、「著作物を独占的に管理することで暴利をむさぼっている」などと評価されることがありますが、今現在の音楽業界の発展においてJASRACは必要不可欠だったと思うのです。それは、テレビや映画などの映像産業と比べてみればよく分かりますが、映像産業は俳優や裏方など参加する人間が多いせいか統括的に権利管理を代行する団体がありません(あるのかもしれませんが、影響力はあまりないでしょう)。結果として、ある1つの映像を他のメディアでも使用したい(例えばテレビ番組をネットで)と考えたとき、解決すべき権利の数が膨大になりすぎて非常に障壁が高い。理想を言えば、申請をすると許可の是非が伝えられたあと使用料の見積もりが来るなんてのが便利なんですが、そんなのとはほど遠い。制作時点で見据えておかないとなかなか難しいのではないでしょうか。

一方で音楽産業の場合、JASRAC管理楽曲であれば、JASRACに申請することでその楽曲を利用することが出来ます(JASRAC以外の管理法人もあります)。料金体系は、1曲いくらというものと団体割引と言える契約制とに分かれていて使用する側からするとわかりやすい。テレビや映画、YouTubeやニコニコ動画を始めとしたWebサービスでの音楽の使用、着うたの配信、本やマンガでの歌詞の使用、通販や店舗での試聴の実施など、JASRACが規定する仕組みが音楽業界にもたらした利便性ははかり知れません。今さらこれ抜きで著作権者と交渉しろと言われたら、大手以外殆ど商売にならなくなると思いますし購入者の利便性も損なわれてしまうでしょう。

もちろん、料金の妥当性やその分配の不透明さなど問題点はあります。なんでそうなるのよ、と思うことも多いです(徴収量と分配量の差がやたら大きいとか、JASRAC胸先三寸な徴収方法とか)。ですがそれはJASRACの運用が杜撰だということであって、権利管理の仕組み自体は利便性の高いものではないかと思うのです。JASRACを批判するあまり、その仕組みごとJASRACを破壊するのは誰の得にもならないと個人的には考えています。


最近音楽の権利関係で気になるのは、著作権の管理団体ではなく、作曲家や作詞家の権利者団体が直接楽曲の使用を申し立てたり使用料の徴収を行おうとしていることです。

Songwriters, composers, and music publishers are lobbying Congress to legislate the payment of performance fees into downloaded music. If music publishers get their way, they’ll be able to extract additional licensing fees from music downloads, movies, and TV shows containing their music, and even 30-second previews.
 

これはアメリカの話であって、日本とは権利管理の構成が違うのだとは思いますが、Universal MusicのCEOは確かに以下のように語っています(和訳はかなり意訳していますがだいたいあってるはず)。

In the US, while we do get paid a mechanical [licensing fee] from ITunes, we are not getting any performance income from Apple yet,
── iTunesから自動的に権利料を受け取ってはいる、しかしApple社自体からはまだ受け取っていない
[On iTunes] you can stream radio, and you can preview [tracks], things that we should be getting paid performance income for. Also, if you download a film or TV show, there’s no performance [payment] and typically there’s no mechanical [payment] either.
── iTunes上では、ストリーミングラジオを聞くことが出来るし、曲を試聴することも出来る。そうした活動に対し、Apple社は何らかの権利料を支払うべきだ。同様に映画やテレビをダウンロードしたときにも権利量が自動的に払われるような仕組みを作ってもらいたい。

要するに、曲を利用する場合にはそれがどんな場合であっても直接、出来れば自動的に使用料が支払われるようなそんな仕組みを作って欲しいってことでしょうか。そもそもで言えば、ラジオでの使用料はそのラジオを配信している人間に請求すべきですし、試聴は購入させるための広告料と考えるべき(試聴無しで今と同程度に音楽が売れるとはとても思えません)でしょう。映画やテレビについても、楽曲の使用料はその制作会社との契約に含まれているというのが普通で、配信された先々から徴収するのは重複しすぎなのではないでしょうか。


JASRACが長年、音楽産業に“幸福”をもたらしてきたのは、ある意味でそういう権利の関係を強く束ねていたからでしょう。一般的な著作権およびそれに付随する権利の構成は以下のようになっていると考えられます。

著作権者(作曲家、作詞家など)
 ↓
 ↓ 原盤権の貸与または売却
 ↓
音楽会社(レーベルなど)
 ↓
 ↓ 著作権の管理、使用料徴収の代行
 ↓
著作権管理団体(JASRACなど)
 ↓
 ↓ 著作権使用の許可、使用料の徴収
 ↓
著作物使用者(テレビ局など)


著作権者は権利を音楽会社に預ける、音楽会社はその権利をJASRACに預ける、JASRACはそれらの依頼を受けて使用料の徴収に責任を持つ。著作物使用者からすれば、JASRACに話を通しておけばその上流の音楽会社などから文句を言われることはないですし、安心して使用できます。販売目的の場合にはJASRACだけではなく音楽会社とも交渉する必要がありますが、上記のような仕組みになっていれば直接著作権者個人と交渉する必要はないので、それほど煩雑になりません。

この仕組みにも悪い点はありますが(中抜きで著作権者の収入を圧迫するなどデメリットはあると思います)、実際にこの仕組みがスムーズな音楽ビジネスをサポートしてきたと言えるのではないでしょうか。もしこの仕組みが無く、何をするにしても著作権者とコンタクトを取ることが必要だとすると(それは例えばフリーの作家とメディアの関係に似てますかね?)、双方にとって非常に煩雑なことになってしまう気がします。



もし近い将来、そうした権利の管理を個人が簡単に行えるようなシステム(例えば…Web上で使用の申請や契約の締結が簡単に行えるとか)が構築されたとしたら、そのときはまた違った結論になると思います。でも現状はそうはなっていません。今現在の状況でJASRACのような仕組みを潰すことは、結局は音楽の販路を絶つことになり、音楽産業全体(売る人間だけじゃなくて買う人、聞く人も関係してるのですよ)のためにはならないのではないでしょうか。






そんなわけで個人的にJASRACの作成してきたモデルに対する評価は高いと思うのですが、、やっぱり分配とか運営とかどうなってるの?と考えると批判もやむなしだろうなぁとも思います。せめてもう少し経営を効率化、透明化して、著作権者の利益が増えるように活動してくれれば…と思うんですが、でもそれもやっぱり音楽会社とJASRACの契約変更が必要だったり、そもそも音楽会社の利益に取り込まれたりしてしまうんでしょうねぇ。

まぁ、「もう音楽で食っていこうとするのは無理」なんていう極端な言説もちらほら見える(しかも全て有名アーティストの言葉)ことですし、近い将来どうでも良くなってる話かも知れませんけどね。でも一銭も儲からない環境で、制作者のモチベーションってどれくらい上がるもんなのかなぁ。十分にお金がある人は違うかも知れませんけどね。ちょっと不思議です。




【2009/10/01 22:45 追記】

ちょっと釣りくさいタイトルを付けたせいで誤読されてる方もいるみたいですが、論旨は「JASRAC」をこのまま大事にしろ…ではありません。まぁ読めばわかりますけどね。著作権を統括的に管理するシステムを構築した「JASRAC」は評価すべき、そして今はそれに代替するシステムがないから、問題点(もちろん寡占も含みます)を解決しつつそのシステムを維持することを考えるべき、です。

「JASRAC」の団体としての性格がもたらす害悪と、著作権管理団体が社会に利益をもたらしていることとを混同して、「JASRAC」の否定から管理団体の否定に突っ走る人をたまに見かけますが、それは気分が良いだけで誰にも利益はないよ、そういうことを書いたつもりです。婉曲表現が多く、具体性のあるカタルシス満載の文章になっていないのは…大人の事情ですので察してください。