【Blog Action Day 2008】 「貧困」とはなんだろう?

これを書いてるのは10/15よりもかなり前で、
きっと当日には色んなブログが貧困について色々書いたり、
協賛企業とかなんかやってたりするのかもしれないんだけど、


貧困。

よくわかんないんだよね。
なにそれ?美味しいの?レベルで理解できない。
なんでって、死ぬほど貧しいことなんてないもの。人生30年余りの中で。

どんなに困った状況でも、健康で働けるなら食料買えるくらいの金は手にはいるし、
金さえあれば、死なない。


なんでわかんないんだよ?想像力が足りねーな、と思った画面の前のあなた、
じゃあ聞くけども、人が貧しい/貧しい生活を送っている事実を、
想像して済むという考えが許されるとでも思っているの?


“24時間テレビ?愛は金を作る”なんかでもそうなんだけどさ、
全編にわたって可哀想なこの人の頑張りを見てください、
皆さん手をさしのべましょう!っていってるけどさ、
その発想が上から目線なんだがどうなのそれ。
私が今から寄付しようとしているお金を誰がどれだけ正しく使ってくれるの?とか、
私がこの人から受け取ったこのお金は誰のどんなことに役立っているんだろう?とか、

気にならない?


多分この人達は困ってるに違いない!とか、
メディアでこんな風に伝えられているから困ってるんだ!とか、
あの人も参加してるチャリティみたいな感じだから!とか、
想像力を発揮した結果、本当に貧しいところへ向けるべき視線がねじ曲げられてやいませんか。


必要なのは想像力じゃないと思うんだよ。


想像力を動員しなくて済むように、現実のピースを揃えるべきなんだよ。

そのピースを揃えるためには、それが揃ってないことを知るべきなんだよ。

そして何がピースなのかをよく見て考えるべきだと思うんだ。



きっと色んなエントリが溢れてるんだろうけど、
日本人の多くは、世界の貧困について語れるわけないだろ。常識的に考えて。

貧困の側に立つのは無理だよ。


僕らに出来ることは、誰が、貧困の側に立ってどんな活動しているか?を知り、
自分では出来ないことを彼らに託すことだけだ。
そのためには、想像力じゃなくて、その活動をきちんと見ることが必要で、
活動する方もそれをきちんと明らかにすることが必要なんだ。


そりゃね、彼らの一員になれればいいと思うよ、でもそれは現実的には出来ない。

もし全国民がボランティアになったら、その費用は誰が稼ぐんだ?
だから僕ら個々人がボランティアである必要はないんだ。
僕らは僕らのやり方でやる。後方は任せておけ。前線は頼む。だろ?



知らないことを、想像するのは間違ってる。
この場合の「想像力」なんていう用語は、現実からの逃避以上の意味はないよ。

この想像は間違っている、そういう前提に立たなければ。