Shatterpoint

友達の夫婦仲のお話。

2ヶ月くらい前に結婚した友達がいるんですが。
何かというと喧嘩してて、しかもあんまり仲良さそうではなくて、
ちょっと心配しつつ、昨日ダンナの方がイベントに遊びに来てくれたので話をしてました。

うーん、人と人との関係って上手く行ってるときはあんまり意識しないけど、
上手く行かないものを何とかしようとするとすごく難しいよね、とか。
まー殆どの場合、立て直さずに他の関係を求めるんですけど。


彼に話を聞く限りにおいては『嫁さんがちょっと神経質過ぎるなぁ』とも思うのだけど、
なにぶん片方の愚痴だけで実際に彼女がどうかは殆どわからないし、
なにより彼女が悪いとか言っても何の解決にもならないので、
とりあえず何をどうしていったら良いんだろうかね、ということを割と真剣に考えていたんだけど。



いや今も考えてるんだけど、

最終的に気がついたことは、
喧嘩するに当たっての喧嘩の原因ってのは実は大した意味無いよね、っていう。
例えば帰りが遅いとか、自分以外の誰かと食事に行くってそれ誰とか、
あんまり構ってくれないとか、まぁ色々あるんだろうけど、
その原因それぞれについて話をして解決をしても、きっと根本的には何も変わらないのね。

おそらく当事者にとっては、日々のトラブルをどう解決していくかー
みたいなことで手一杯なので、あんまりその背景とか考えたりしないんだろうけど、
色んな話を総合して考えてみると、根本には自信のなさ、みたいなものがあるのかなと。
自分は愛されてるんだろうか?とか大事にされてるんだろうか?とかそういうのがあって、
その不安やコンプレックスが、嫉妬に繋がって些細なことでヒステリーを起こす…みたいな。

だから、本当に大事なことは何も起きていないときに何をするか?言うか?というところで、
しかもそれについて自分が本当に考えていないとダメだと思うのね。
不思議なもんだけど、無理したり気を遣ったりして無理矢理する気遣いには、
なんてかなぁ…気が入らない、というか。感情が乗らない、というか。
そう言うのを気にせずに、とりあえず尽くしてくれればニコニコ、
みたいな単純な女の子なら良いけど、コンプレックス由来の疑心暗鬼が習い性になっている場合、
多分、そういう中途半端な妥協みたいなのは逆効果だと思う。
本当に真面目に言ってるのかな?と。



そういう感じの話、てか昨日の時点であんまりまとまってなかったんで、
この話を5倍に薄めたような抽象的な表現で話したときに彼の返しが、

『何か言われたときにすぐ手伝えるようにオンラインゲームを止めた』

だったんだけど、まぁ確かにそういう気遣いは大事なんだけども、
なんだろうなーそれやってもなんか楽しみが減るだけでメリットはなくて、
お互いがお互いを削り合う関係みたいな感じで。
彼はある程度の決意を持ってそういう行動に出たんだろうけれども、
彼が思うほどにはそのことは相手には伝わらないと思うし、
(感情が乗らないことも理由の1つだし、彼女にとってゲームに価値なんか無いのも理由)
そのことは、結果、何で解ってくれないんだ?みたいなストレスとして跳ね返ってくるだろうと。


要するに彼の行動は、前回の喧嘩で言われたことに対する誠意なんだけども、
なんだろなーその譲歩は上策ではないような。
根本的な部分、つまり彼女のコンプレックスをどうするかってところで考えない限り、
他の点について同じように喧嘩になって譲歩を繰り返すだけで、
結果、追い詰められていってしまうんじゃないかな。


人のことなんかほっとけよ、てかブログに書いてんじゃねーよ、ということなんだけどもさ、
彼が間違ってるとかわかってないとか、彼女が間違ってるとか言いたいのではなくて、
問題の本質的な部分を見て理解することは大事だよということと、
日常的に喧嘩が起きている場合に、本質に対して何かをすることよりも、
その喧嘩を解決していくことの方が楽な解決方法に見えるけどそれは逃げだよねということと。

んで、彼の話しぶりを見ていて、これは想像だけど、
きっと彼女は確かにひどく神経質なんだろうと言うことと、
彼は悪気はないが優しくは見えない、もっというと愛があるようには見えないんだろうな、と。
義務感なんて、愛じゃないしね。そんなの。
それで愛だと思ってるとしたら、おめでてーな、っていう話で。

そういうことに、何となく気づいたなぁとか思ったのです。



ただこれを彼に簡潔に説明するのは…もの凄く至難の業だけどね。

何か気の利いた“Life Tips”でも紹介してあげた方がいいんだろうけど、
それはなんとなく自分のやり方に反するしなぁ…

余計なお世話だとは思いつつも何か良い方法はないか、とか思ってるのです。
あんまり楽しそうじゃない友達の顔は見たくないしな。





蛇足。

そういえば。

僕がこういう話をすると、理屈っぽいとか感情は合理的には行かないとか言う人もいるけど、
僕はそういう考え方こそがステレオタイプであり、詭弁であり、怠惰だと思うのね。
自分が何をしているか、どういう方向で行くかという点については合理的で良いと思う。
んで、実際の現場での行動は感情に委ねればいいのですことよ。
何をどうするかはその場その場で良いけど、どっちに歩くかは決めとけよ、と。

どうすべきかのところで感情に流される人は、現場では合理性と感情をごちゃ混ぜにしがち。
そんでもって結果的に、自分がしたいからって言う“合理性”で動いちゃったりするのよ。
その合理性が自分がしたいことを台無しにしてることにも気づかずね。
それでいいならそれでもいけど、僕はそういうのを凄く残念に思うから。

何をするかは自由で良いけど、何をしたいかは自由ではないと思うよ。
自分によって定められていることだと思うし、そこに合理はあるはずじゃないかな。



あと、本質なんて人によって見方も違うし変わってくるよ、と言う人もいるけど、
それならあなたの思う本質は何?とか思うわけです。

『真理』とかいうと融通の利かない思いこみと表裏一体だけど、
ここでいう本質は”Shatterpoint”(破砕点)、つまり、問題解決のためのコアな場所。
ないしは物事を形作る上でその物事が立脚する基礎の部分。
そこが本質だと思うことそのものは、分析や経験の上に立っている訳なので、
確かに人によって違うかもしれないけれども、大事なのは僕がどうとかじゃなくて、
問題をどう把握しどう解決するか(またはそもそも解決しないか)なので、
もし他の部分がより大事だと思うのであれば、それを提示して欲しい、と。
話はそれからだし、そっちが良ければそこから話を始めよう、という話で。

もしそれ抜きで、本質とかわかった風なこというのはどうよ、という考え方なのだとしたら、
問題はまずコアな部分を叩くべき、少なくとも把握しておくべき、
という僕の考え方と合わないと言うことだし、
そもそも問題解決する気もない(ほっとけよってことね)わけなので、
話をしても多分あんまり面白いことにならないなーって感じ。

僕としてはただ、問題を解決するための道筋を見つけたい、ただそれだけなんだけどね。