東京新聞 『日本料理店の認証制度』に反対!…何言ってんの?

とりあえずこの記事を読んでいただきたい。
 農林水産省が、海外の“正統”な日本料理店の認証制度を検討しているという。独自に解釈されたおかしな料理を、和食と名乗られては困るということなのだろうが、外交上の相互主義の立場から考えると、大きな問題をはらんでいる。

 レバニラいためや、野菜いため、ギョーザが定番の大衆中華料理店。もし、これに中国政府がクレームをつけたら、外食産業はパニックとなるに違いない。スパゲティ・ナポリタンは論を待たず。独特の食文化で知られる名古屋に行ってみれば、スパゲティ・「イタリアン」とか「台湾ラーメン」だとか、もう、突っ込みどころは満載。

 つまり、海外の食文化を換骨奪胎して、オリジナルと離れたメニューを作ってきたのは日本だ。自国の料理にだけ注文をつけるのは、少し身勝手な気がする。

 しかも、認証制度の旗を振る松岡利勝農相は「水道水を飲んでいる人は、ほとんどいない」と発言。水道水をおいしく飲めるのが日本の自慢だし、そもそも、きれいな水を生む森林を涵養(かんよう)するのは、農相の役目だ。食文化を論じながら、食の基本となる水を軽視する態度は、いかがなものか。不透明な事務所費問題とあわせ、水に流せない。 (浅田晃弘)
 

中日新聞サイトのコラムは一定期間で削除されるようなので、
コラム全文を引用させていただいた。
(リンク先が消えている場合は、ウェブ魚拓のキャッシュからどうぞ)


言いたいことは3点。

・正当なもの以外は日本料理と認めないのはいかがなものか
・日本だって中華料理じゃないものが中華料理屋に並んでいるし、そうしたものが中華料理じゃないとされたら困るはずだ
・食文化を論じるなら水の涵養にも努めろ

自身のコラムでも書いておられる言葉をそのままお返しするが、
この短いコラムの中で、『ツッコミどころ満載』である。


まず、第1点。

確かに、この制度は、似非日本料理を排除する結果をもたらすかもしれない。
しかし、制度自体は、どれが日本料理なのかを示すだけであって、
それを食べる客に何を食べるかを強要するわけではない。
客が、コハダの握りよりもカリフォルニア・ロールの方が好きなら、
それを止めるだけの権限などあろうはずもない。

逆に、現在は、どれが日本料理で、どれがそうでないかが分からない状況にある。
言ってみれば、食品の原産地表示と同じことだ。
選択するのは客だし、そのために情報を提供するだけではないのか?
それは、日本料理への要らぬ誤解を回避し、
文化としての日本料理を保護するだけのメリットはあると思う。

それでも、現地の人間の好みが変わるわけではないし、
もっと言えば、現地の好みにあった日本風料理が流行っているのであって、
決して、日本料理が流行っているわけではない。
認定されていない店が、日本料理を名乗るのだって自由だし、
そこには何の排除もない。



次に第2点。
ここに至っては笑止千万である。

記者はコラム内で、
『もし、これに中国政府がクレームをつけたら、外食産業はパニックとなるに違いない』
と書いているが…じゃあ聞くが、パニックになるのは誰なんだ?
もし、中国政府が、日本政府がやろうとしているやり方ではなく、
中国政府が認定した店以外は中華料理と名乗るべからず、
というのであれば、店内で出せるメニューは限られることになる。
ある程度の影響はあるかもしれない。
しかし、日本政府がやろうとしていることが本当に分かっているんなら、
そんなことは起きないことくらい簡単に分かる。

それに、だ。
コラム内で上げられているメニュー、
レバニラいため、野菜いため、ギョーザ、スパゲティ・ナポリタン、台湾ラーメン
それらが中華料理(またはイタリア料理)じゃないからと言って困るだろうか。
そんなことを名乗って、ラーメンを出しているラーメン屋を、私は知らない。
ラーメンが中華料理じゃない、そんなことは分かり切っている。

ていうか、“換骨奪胎”を自覚してなきゃ、
『洋食』なんて言う曖昧な単語は使わない。
どこの国の料理なんだ、洋食って。

つまり、海外の食文化を換骨奪胎して、オリジナルと離れたメニューを作ってきたのは日本だ。自国の料理にだけ注文をつけるのは、少し身勝手な気がする。
と言う文章も、論理の逸れ具合に失笑させられる。

日本政府は、日本風料理に注文を付けているわけではない。
それを制限しているわけではない。
ただ単に、『本家』とか『元祖』とか言う名前を屋号に付けようとしているだけだ。

言わせてもらえれば、だ。
中華料理なんて、中国政府のお墨付きが付いてもいいくらいだ。
値段と味のバランスがわかりにくいし、
同じ中華料理でも北京と四川じゃ全く違う。
少なくとも僕は、餃子が中華料理ではないとされたって餃子は食べるし、
少しお金出してもいいからちゃんとしたものを、と思ったら、
中国政府指定の中華料理屋に行くだろう。

それが、消費者への適切な情報提供というものだろう。



さらに、第3点。

「水道水を飲んでいる人は、ほとんどいない」という農相の発言を取り上げているが、
この発言、この食文化の論議と全く関係がない。
ただ、水道光熱費の言い訳だろう。

バカバカしい政治家の言い訳なんかどうでも良いので、
言い訳ではなく、この記者が書いているとおりに、
農相として、水問題について発言したとしてみよう。

さて、東京の水道水が美味しいと思っている人間はどれくらいいるのだろうか?

仮に、不味いとしよう。
とすればこの発言は、水道水の現状を指摘しただけに過ぎない。
どこに軽視の内容が含まれているのか。
その後の努力を否定しているとでも言うのだろうか?

逆に、美味しいとしよう。
ブログを見ると、『最近は美味しくなってきた』と書いている人も見掛けたから、
そういう可能性も十分にある。
とすると、その後の、綺麗な水を作る努力を怠っている、という指摘に反する。
農相がどうしてるかは知らないが、現場では努力している人間が多数いるのだ。
そうした人間を愚弄する気なのか?



結局、このコラムは、日本料理云々をきっかけにして、
農相の発言を咎めたい、ただその一念なのだ。

だから、制度の内容も不勉強だし、
(不勉強っていうか、10分あれば分かるようなことだが)
農相の発言も拡大解釈している。
しょせん、政治屋の世迷い言だろ?
そこには食文化も、水の安全性も関係ない。



この浅田晃弘という記者、検索してみると、まともな記事も書いているようだ。
きちんと取材した記事に関しては、きちんとしたクオリティを保っている。

しかし、このような、頭の中で組み合わせたような記事においては、
無理矢理こじつけて結論まで持って行っているだけだ。

記者はとあるコラムの中で、『原稿を落としそうだ』と書き始めていたが、
今回もそのせいで、その辺にある話題を組み合わせてコラムをでっち上げたのだろうか。
自分の記事を誰が読み、何を思うか、そのことに対する意識が低すぎる。

こんな記事を書いておいて、ツッコミどころ満載?

朝起きたときには鏡をよく見ると良いと思う。
(ちょっと新聞チックだ(苦笑))