体育会系。

『体育会系』

まぁ、一般的には、
脳が筋肉で出来てるとか、
精神論で語りまくるとか、
無理をやる気で通すとか、
そういうことが言われてるわけですけどねぇ。

古いね。
感性も古いし、語彙も貧弱だなぁ、と、
まぁ、主に『文化系』の人々の糾弾系文章を読む度に思ってるわけです。
単純にしらんだけだよなぁ、この人ら、と。
その単語以外に、状況を説明する言葉を持たない。


まぁ、指導者も選手もピンキリなワケなんで、
体育会に所属する全メンバーが同じ事を考えてるわけでもなし、
そりゃ、いろんなやつがいますよ。
そもそも、古い価値観の体育会系だけで勝ち残れるほど、
実際の競技の場面は甘くはないわけだし、
はっきり言って、融通の利かない古い精神論者を『体育会系』と呼ぶ、
日本国民の習慣はどうにかならんのかな、と思う。
キリの奴らを引っ張り出して名前付けて、全体を呼ぶのは止めてくれんかな、と。


例えば、集団行動、なんてのがありますね。
『俺はみんなで同じ事とか嫌いだから』=『非体育会系』みたいな感じだけど、
体育会系だって、みんなと同じコトしてたら一生勝てません。
力を合わせないと出来ないようなこと(掃除とか)に関しては、最低限ルールを。
個人のことに関しては個人の裁量で。
当たり前ですけどね。

じゃあ、最低限のルール抜きで社会は成り立つかって、そりゃないよね。
例えば、9時までに出社して、5時までは働く、だって立派な集団行動。
降りる人を先に下ろして、それから乗り込む、ってのもそう。
程度の低い奴らの言ってることが間違ってるだけであって、
集団行動そのものに非があるわけじゃない。


あと、上下関係、なんてのもありますね。
僕も大学時代よく見ましたよ、他大学のやつらで、
同回のヤツが、先輩になった途端に威張り散らしてる光景とか。
まぁ、だいたい、上下共に頭が足りないんだけども。

まぁしかし、コミュニケーション能力の欠如を、強制で埋めるのは、
体育会に限った事じゃないっしょ。
痛いところ突かれた教授とか、生徒の苦情にうんざりしてる学校職員とか、
社会の至る所にあるでしょう?無意味な上下関係。
だからさ、物事の認識の順序が逆なんだよ。

良くある社会のパターンの一部としてダメな体育会系があるんであって、
そのパターンの名称が体育会系ではないワケよ。
で、実は上下関係がなかったら、社会システムはもっと非効率なわけで、
ああ、敬語とかではなくて、パワーバランスの話だけど、
要はそこにある必然性を説明できるかどうか、でしょう。

尊敬できない先輩に対しては、尊敬できません、と言えば済む。
僕もいましたよ、下らんこと言う先輩とか。
でも、幸運にも、殆ど全ての先輩はいい人だったし、尊敬できた。
尊敬してるから、敬語になるし、尊重する。
下らん人は、敬語しか、尊敬を感じる部分がないから強制する。
世の中もそうでしょ?


体育会系、と呼ばれていることの殆どは…知識不足による幻想だね。
僕は文化系の家庭に育ってきたし、
高校もそういう空気が強かったから思うけど、
ダメなヤツは、何系でもダメですよ。
ちゃらい会話する分には、
『あいつって、ホント体育会系だよねー頭悪いって感じ』
『だよねーハハハ』
で済むんだけれども、
(ネタとしての『体育会系』)
大事な話をするときには、その単語はかなり、
認識の省略を含んでるって事に気付かないと。

認識の省略ってのは…
そのことの重大さをあんまり分かってない人が多いけど、
集団行動や上下関係の強制と同じ事ですよ。
アメリカの戦争行動だってそう。
戦争に導いた人間達は、
きちっと考えて世論を誘導していた(善し悪しは別にして)けれども、
それを支持した人間には、認識が足りなかったんじゃないかな。


尊敬を強制する人間や、言ってもわからんような、
いわゆる体育会系にばかりぶつかってきた人は、
本当に不幸だなぁ、と思う。
でもそれ、マジで底辺ですぜ。

まぁ、底辺が一番たくさんいるんで、仕方がないけれども、
その思想丸ごと否定すると、実は人間の活動を否定していることになったり、
自分も大して変わらない人間だったり、
(相手の非を説明できないから単語を出してるだけなんだよね)
そういう残念な状況になるんだが、
多分、気付いてない。
体育会系じゃないところでも、同じ性質を持ったダメな奴らはたくさんいるのにねぇ。

僕は、一生懸命やってる人たちに、そんなこと言う気にはとてもなれんなぁ。


まぁ、残念な世の中なんだけれどもね。
概して。

こんな僕でさえ、気に入った世界も、その中には含まれているだけに、
その単語の使われ方には、少々神経質になるのでした。