男女問題で僕が嫌いな視点

男女には違いがある。
それは経験則的にはっきりしており、恐らく間違いない。
別に、専門書や、月刊誌の指摘を待たなくても、
男または女として社会に生きてる人にとっては明らかなはずだ。

ただ、僕はこの問題を語るとき、
どうしても好きになれない視点がある。
それは、男女の相違点を挙げ、だから違うんだ、としめる構成だ。
皆が知っていることを再度指摘して、だからなんだというのだ、ということだ。
だから男は分かってくれないのよ、
そういわれても、僕が男から別のモノになることはなく、
『分かってくれない』事自体は変わり様がない。

大事なのは ──
女はどうしたら男が分かるように話せるのか、
男はどうしたら女の言うことを分かるようになれるのか、
その試行錯誤こそが重要なのであって、
最初から分かり合えないことを前提にしているのであれば、
違いの指摘自体に意味がない。
(愚痴を聞く、という状況を除けば。…でも雑誌で愚痴など聞きたくない)

僕らは違うのだ。
それははっきりしている、ハズ、
でもその違いを分からない人が多いと言うことなのか?
だから、まず、違いを指摘するところから始めなくてはいけないということなのだろうか?
レベルが低すぎると思うが、それが標準なのなら…仕方がないか。