信じるもの

運命やタイミングや縁が存在していることを
僕は知っている。見たことはないが、
『状況証拠』 から、在ることはほぼ間違いない。
でも僕はそれを信じない。信じないことにする。
いつどのような形で現れるかわからず、本質的には常に手遅れ、
そんなものを信じ続けられない。
頭の片隅に置くことは出来ても、それに寄り掛かっては生きられない。
恐すぎる。

僕は今の自分の感情と意思を信じる。
前世のことなどすっかり忘れてしまったし、
事実上、今初めて生きているのだから、間違えることはよくある。
ただ、そのときに考え、思えばいい。
どれだけ悩んでも考えても、思う通りに進んでも、人生は失敗ばかり。
たったひとつの人間関係さえ、上手く行かないときがある。
必死で、『これでいいんだ』と言い聞かすことも。
ウェットな夜にドライな感情を持とうと努力することも。

なぜ、人生はかくも僕を悩ませる?
ものごとの結果は大概失敗、とわかっていても、
この道を進み、誰かを愛する。今この瞬間でさえ。
どうせいずれ失敗するのなら、それを誰かに規定されていたくない。
『されているかもしれない』と疑っていても、それに身を任せていたくない。

僕が愛する人は、僕自身の意思で選んだ人だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
どんな欠点があろうと、僕が変えてみせる。変わってみせる。
変わらなくたって、理解してあげたい。
それが生きるということだし、
失敗と失敗の間の僅かな営み、その意味するところだ。

今の僕にはなにもない。
愛した人は随分前に去ったし、
仕事もなかなか思う通りには進まない。
だが待て、逆説的にはこれは
『運命』的に『失敗の終わり』だし、
暫くは失敗しないということだ。
いずれ終わるだろうが、
また新しい何かを築ける『タイミング』でもある。

僕は相変わらず、
右から左へ視野を移すようには、人生を変えようとしない。
今までのものとこれからのもの、
そんな風に人生を区切ったりしない。
全てを抱えて、生きようとする。
僕にとってはそれが一番自然だから。
そのせいでよくものを落とすのが欠点だが…
大事なものは、決して離したりはしない。
大事だとわかってさえいれば。

いずれ、失敗する。
だからといってそれが決まっているわけじゃない。
少なくともそれは信じない。
自分の心が喋らなくなれば、そこが終わり。
また、違う話題を探す。