mutterの苦痛

基本的には楽しんで書いてるんだけど。
書いていて一番の苦痛は
これが僕の近況を知るために使われていることだ。
いや、それはそれで間違ってはいない。
多分、友人にも同じようなことを喋ってるだろうし、
それ以上のことを書いている。
それでもやはり、書けば書くほど大きくなる苦痛が存在する。
何度も書いていることだが、
僕にとってmutterというのは僕の中の一部だ、
だが読む人にとってはmutterが必ずしも一部とは限らない、
時には僕そのもの、になる。
落ち込んでいるからブルーな文章ばかり出るわけではないし、
恋愛で悩んでいるから彼女のことばかり書くのでもない、
新しく彼女ができて幸せなときに、
3年前の恋を悲しく書くこともあるだろう、
だから、mutterを読んで得る『今の僕』は、
ただ単純に、読む人の想像でしかないのだ、
mutterに出てこないからと言って、
出てこないことについて考えていない…わけではない、
でも、読み手の意識は僕とは違う。

旧友が僕の消息を知るのにはいいだろう。
よく会う友達が僕の違う面を得るのにもいいかもしれない。
でも、これを大事な判断の要素にされてしまうことがたまにある。
ただ、僕に直接確かめるのが面倒だから、恐いから、というだけで。
もちろん、読み手の責任ではないのだが、
(書いてる段階である程度以上は覚悟すべきことだが)
それでも、、そういう無理解が苦痛になることがある。
取るに足らない人間の発言ならば気にしないが、
大切な友人だったりすると、自分の存在意義を疑う。
僕より、mutterの方が僕について詳しいか…