die.

久しぶりに生きてるのが嫌になった。
『決定的な何か』があったわけでもなく
生活は日々充実しているはずだが
もちろん、死ぬ勇気もなければ
自殺する気など全くないが
別に生きていなくても良い、
と、久しぶりに感じている。

ippei-suzuki とは何で、
生きて今ここにいる意味は何なのだろう?
僕が死んだことで、いったい何が変わるだろう。
何人かが悲しみ、そして忘れる。
自分が生きているということは、
他人のためではなく、圧倒的に自分のためだ。
その自分が、どうでもいいよ、と言っている。

死ぬ理由はない。だから、死なない。
だが、そんな生き方が
自分のためになるというのか。
あらゆる人間関係を、破棄したくなる。

知ったかぶって、
『イッペイクンハ サビシガリヤダカラ…』
と笑った奴がいた。俺は、奴を憎む。
そういう言葉を、何気なく吐くような
自分の鈍さを、人の敏感さにかぶせるような
そうした人間を憎む。

人は独りでも生きられる。
独りでは生きている意味など無い。

おそらく、人間関係の一部を、絶っていくと思う。
俺は明らかに非社交的な人間で、
ある場所で多くの知り合いに囲まれている図、など、
俺ではない、少なくとも、俺が望んだことではない。

mutter。
俺は、自分と、数えるほどの友人がいれば十分だ。
じゃあな。