非戦

非戦という考え方もあるのだよな。
いかなる事情があろうとも、戦争はだめだ、ということ。

反戦が理解できないのは、
イラクで空爆に会うイラクの子供に涙を流している人間が、
イラクに蹂躙されたクルド人やクウェートの人々や
ミサイルを撃ち込まれたイスラエルの人のためにも涙を流しているのか
そのイスラエルが傷つけ続ける、
パレスチナ人のためにも涙を流しているのか、
そのパレスチナを支援するアルカイダが起こした
9.11で傷ついた人々にも涙を流しているのか、
その9.11で復習の名の下に攻撃を受けたアフガン人にも…

話は終わらない。
そういうことに、疑いを持ってしまうからだ。

自分に火の粉が降りかかるから泣いて反戦を訴えるような人は、
火の粉が降りかかってそれを払うために戦争する人間と
大してかわらんじゃないか、と思う。
戦争を挟んで対局にいるが、
ある意味でとる手段が違うだけだ。

TOOEARLY のために僕が用意したメッセージは、
[NO WAR] ではなくて、
[WHY WAR ?] だった。

戦争をするのも、非戦を訴えるのも、人間なのだ。
WHY WAR ?