最近、自分のことを書くのを避けてる。
それは『書きたくない』と、いうことだけではなくて、
あまり、自分のことについて考えてないからだ、書くことがない、
考えてみれば、いろいろとあるのだ、
でも、あまり深く考えないようにしてる。
何かが、結果として明らかになったときにも、
後悔もするだろうが、それを受け入れよう、ということだ、
むしろもう諦めてしまっているのかもしれない
僕が誰かに何かを求めるのと同じように
僕も誰かに何かを求められる、いろいろなカタチで
それが時にうっとおしくて、わざと部屋に閉じこもったりする
行くべき場所へ、出向かずに、すごす、
僕は何も言わないが、
つまり変わらなくても文句はないし、時に嬉しいが、
実際の話、変わって欲しいと思ってる
例えば『戻る』という選択肢だってあり得るし
まだ目の前にない選択肢や、今出会っている選択肢もあり得るだろう、
頭のカタイ人にはわからない話かもしれない、
だけど、大事な話に関しては、全てをクリアにして考えよう
頭の固さは判断の省略だ。
僕は誰にどの程度、必要とされているのだろう。
日々、それがわからなくなる。
『わからなくなる』のではなくて『別に必要にされていない』と思う。
必要だと言われたところで、
僕の存在、であって僕ではない
日々、僕は必要ではない、と思って生きている、
ある日僕がいなくなる、しばし噂になる、噂が消える、それだけだ。
会いたいという、その気持ちがわからない。
僕はなにを期待されているのだろう。
僕はなにをしてあげれば良くて、どんな僕でいればいいんだろう。
聞けばおかしな話だけど、そんなことを思う。
この2年くらいの間に悩んでいたようなことを、
すべて諦めて飲み込んでしまった。
だから、悩まない。いいことではないと思うが、しかたない。
それ以外に情緒を安定させる方法が思いつかないからだ、
悩まない代わりに考えない、だからわからない、
僕に何を求めているんだろう
フロアで会ってもどうしたらいいのか、何を喋ったらいいのか、わからない
必要ならば、僕の何が必要なんだろう
僕は必要なのか?必要とされているのか?
本当は、必要・不必要とは離れたところで人は生きているのかもしれない。
必要・不必要を気にする僕が不自然なのだろう。
いま、僕の情緒は比較的安定しているが、
今の僕は少しおかしい。
屋上のへりを歩いている感覚だ
そのうち死ぬかもしれない。
痛いのは嫌いだが。