I know you ?

ねじまき鳥クロニクル、長いこと読んでないな。
実家に帰れば分厚いハードカバー3冊があるはずだけど。


誰かを完璧にわかることはできないし、必要もない。
大事なことは、自分が知ってると思ってることと現実との距離…、だ。

何かについてよく知っていると思っていてもそれは必ず現実といくらかずれている。
人間の感覚や、記憶なんて曖昧なものだし、いい加減なモノだ
思いこむし、勘違いするし、見えない所を想像で補ったり、見えたところを削除したりもする
目の前に物理的に見えていることでもそうなのだから
見えないこと、感覚的なことならなおさらだ

他人を知ろうとすることは、広大な荒野を調査するようなもので
僕らはどんなに長く一緒いても目に見える範囲、いや大抵の場合は足下くらいしか、わからない
だけど、ひとまずは生活できるだけの土地についてわかれば、生活していくことはできるし
実際に生活している
だけどそれはその土地を知っているわけじゃない、『間借り』しているだけだ。
よりよい暮らしをしたいなら、自分の家の周りの外へ、行ってみないと。
窓から見ている景色と、実際に行ったところとではまるで違うだろう

実際に僕らはなにもわかっちゃいない。
ということを、思っている人は少ない。
何かの前提を欲しがるコミュニケーションは、疲れる。そして、浅い。

僕はよく、相手を断定する話し方をするが、それについてまったく異なる反応が返ってきても困らない。
むしろ、それを期待している、それが僕の相手の知り方だし、楽しい。

あらゆるヒトに対してあらゆる可能性を持って見ていたい。
固い頭にだけは、なりたくない。