わかりあう、ことなど、そうはないのだ
『わかりあえる』、そんな幻想にいつもとらわれてしまう
出会い別れていく男女のすべてが
そのお互いをわかりあって判断し出会い別れるわけじゃない
むしろ
わかりあうまえにもう、嫌になったから、それで、
わかれても、全然、不自然じゃない
それでも、誰かに言う、例えば にこにこして上手くいってないことを語る19の女の子
言いたいことを言えずに、わかりあわないで、わかれちゃうのはさびしいよ。
恋人/親友、でさえ、言わなければ聞かなければ、本当のところはわからない
わかってもらわなくてもいい ことならば、言わなくてもかまわない
わかって欲しいことならば、余計に口に出せない
それに、聞いてさえ、わからない
わかりあえることなど、ない。
だけど、僕はわかりあって生きたい。
誰かについて想像するのは簡単だし、それが当たる確率もまずまずだ
だけど、それではわかりあってはいない。
『だまっていてもわかるでしょ。』
そういう人とは、上手くコミュニケート、できない、違う、誤解しないで欲しい、
だからこそ、コミュニケートするのだ、
『ぼくはあなたのことがわからない。』
それを相手に伝えるのは勇気がいる。ただの知りたがりと見られたらどうしよう?
気にされたらどうしよう?嫌われたらどうしよう?誤解されたらどうしよう
1人の人とわかりあうのは疲れる
だから、わかりあう人を制限する。
いろいろなことを口に出せないような人とこそ、いろいろなことを話したい
僕には出来ないけどね(苦笑)
思い焦がれる人と話題のない日々。時間。
いまの僕なら……
ぜったいモノにするのに!
…たぶん、おなじ。