最近ブログで主張しないというかどこでも主張してない

意見を伝える社会人


記事広告のタイトルに【PR】を入れるか入れないかで揉めてて、今現在遠いところにいる自分としては、こんなの、

「タイトルに入れなよ」でFAなんだけどそれをビジネス的な理由でなかなか受け入れられない業界人のジレンマを見ながらみんなで酒を飲む案件

だよね、くらいにしか思っていないんだけど、利害関係者やアンチステマの活動をしている人たちにとっては割と神経質になる話題のようで、名前をよく知っている人たちが参戦してわいわいやっててなかなか。つうか、おおつねさんが割と長い時間割いて議論に参加し続けてるの、そんなに見ないんで逆に新鮮。いつもは居合いみたいな感じだからなー。


揉め事のあらましについては、まとめが一杯あると思うけど、細かい事情や言葉のあやや装飾表現やらについて別に知りたくもないという人は、徳力さんの記事1本読んだら十分お腹いっぱいだと思います。長いけど、良記事です。ていうか、良レポートといった方が当たるかも知れない。ギガに余裕がある人はどうぞ。

記事広告PR表記問題やネイティブアドの論争が不毛と思う理由(徳力基彦) – 個人 – Yahoo!ニュース





で、最近そういう話題について意見表明みたいのすることなくなったなーと思うわけです。


1つにはweb業界から離れて、利害関係も、自分がしていることへの影響も全くなくなってしまって、意見を持つ必要が無くなったというのもあるのですけど、以前は自分に関係ない話題であってもそこに絡んでいくスタイルだったこともあるし、ウォッチしながらなんか起きたら感想を書くみたいのはネットを楽しむ上で普通にあるスタイルだと思うので、単純に興味が薄れたのと、あとは以前のネットに比べて無遠慮なリアクションが返ってくるようになって、面倒くさくなって書くのを止めたのとかなあと思ったりします。

あんまり煽り耐性高い方ではないし、打たれ強くもないし、そういう人間がいきって正論書いてもねえ。しんどいなと思う方が多いので。特に「活動家」に影響されて綺麗なことをたくさん発言してる系の人たち、ちょっと現実との齟齬とか、理想の実現性とか、1ミリも役に立たない陰謀論のクソさ加減とか言及すると、すごい勢いで切れてきてクソめんどいし。


とは言え、思うことは止められるわけも無く、モヤモヤと思うことはあって、そういうのは内容によっては友達のみに限定しつつ(現在進行形の職場の話とか)、Facebookにたまに書き出してます。いちおう、Facebookで書き散らしたことをあとでまとめて記事に起こそうと思ってはいるんですけど、2回くらい言及したらもう満足してしまって記事にはならないんですよね。じっくり考えてアウトプットしたことと言うよりは、単純に何かを吐き出したかったと言うだけなんでしょう。

いやなんてかなー。Facebookみたいなところで吐き出すものって、本質的な思いの周りにもやもやと貼り付いている「灰汁」みたいなものだと思うんですよね。感情成分多めの。だからその吐き出した主張自体が大事というよりかは、それを吐き出したあとに心に残っている本質的な部分こそ注目すべきで、その吐き出しを繰り返すことによって本質的な部分の純度が上がって、それをブログに書けば多分すっきり分かりやすくてキレのある主張が書けるはず。

はずなんだけど、普通に思い返してみるとキレがありすぎて、職場に居づらくなりそうなことばっかりが心に残ってるので、やっぱり書けないわけですよね。ええ。先の記事広告の話にもFacebookがどうたらという話題が出てきましたが、内輪で回覧してるうちはいいけど、ブログに書いた時点で公開書簡も同然ですからね。社内にも信奉者が多い社長に対する指摘とか、ブログに書けるわけねー。


なんか縛られてるなあ自分。もちろん時間ないっていうのもあるけど、縛られてて、思うこと書けないようになってる感があるなあ。すげー狭い身内でぐるぐる回してる業界に入ったらそういうの仕方ないかもしれんけどねえ。

っつうんで、ポジショントークであれなんであれ、変わらず自由に主張してる人たちが羨ましかったですっていうお話でした。



最後に例の件に関する個人的な

個人的には、記事広告には可能な限り分かりやすく【PR】なり【広告】なりの表記を入れて欲しいなと思います。


僕が大好きな「Sports Graphic Number」では、フィジカルな雑誌の方では記事タイトルにも記事内容にも広告とは明記されていません。もちろん読めば広告だって分かるんですけど、スポーツ選手のインタビューとか対談とかの形式を取っていて、面白く読めてしまって最後に「広告か」ってなると少しがっかり感はあります。ページの最初になんかあって欲しい。ただ、この記事、目次には載ってないんです。あくまで広告枠という扱いであって記事ではないので、目次にはない。そのところは良心のバランスかなと思います。テキストベースの広告という意味で。

デジタルな雑誌の方ではどうなっているかというと、フィジカルな方と同じで記事タイトルには含まれていませんが、その代わりページ上部に割と大きく「PR」と記載されています。

“360°の臨場感”を楽しむ!「VR」という新たなスポーツ体験。 – ライフスタイル – Number Web – ナンバー

こちらは、コラムであって記事広告ではないのですが、コラム内に記事広告へのリンクがあり、リンク先の記事タイトルに「[PR]」を付与してリンクが貼ってあります。

<いつ飲む? 何飲む? どう飲む?> サプリメントガイド 脂肪をエネルギーに変えるには?編 – ライフスタイル – Number Web – ナンバー


これこそまさにクリック率が落ちるってやつだろうなと思うのですけど、でもまあこういう対応ですよね。大会社文藝春秋社にしては頑張ってるかなという感じは受けます。もう少し分かりやすくして欲しいですけどね。スポーツと全然関係ない分野の記事広告も多いので。でも逆に言えば、大会社がこんなもんだから、対抗する他の中小が率先してPRアピールするわけにも行かないんでしょう。そういうのは商習慣の変化であり、言い続けて少しずつ雰囲気を変えていくしかないんでしょうね。

そういう意味で、今回の問題提起には意味はあったのかなと思います。ま、地味な活動の中のお祭りみたいなもんでしょ。少し遺恨を残しておいて、年末にチャンピオン・カーニバルでもやってまた盛り上がりましょう。出版社の担当者とか、普通に話聞きたいですけどね。今や、フィジカルな雑誌だって記事広告なしには経営成り立たないはずなんで。