踏み込まない。ブログがあんまり面白くないらしい話。ブログの話。
「最近、ブログがあんまり面白くない」という感想をもらって、正直に言うと自分でもあんまり面白いこと書いてないなーと思ってたので、特に反論もなくて、逆に何でそうなってるんだろう?と好奇心が。つっても、思い当たる節はそんなにないんだけど、ヲチ系炎上コンテンツを眺めてて思うことは、なんかねー。昔は、ネットで話題とか、いわゆる「輪廻テーマ」とか、言及することが多かったんだけど、最近はそういうのに触れるのが面倒くさく思ってしまっているのよね。
意見はある。あるんだけれども、ブログ記事に起こして表明して、反論もらうのが面倒くさい。自分の意見を言うのであれば、反論される覚悟くらいしておけよとも思うけれども、でもさー、僕が倫理的に、もしくは事実誤認で間違っているというのであれば批判や否定も甘んじて受けるけれども、何か最近って、自分と違うって言うだけで極端に叩く人いるじゃん。アレがわからない。しかも、自分と違うってだけなのに、人格否定まで行ってる場合もある。こうなった契機は、Twitterの浸透であったり、mixiよりもオープンなFacebookの広がりであったり、東日本大震災を機に社会運動を行う人が増えたことであったりだと思うんだけど、何にしても、ああいうのを見ると、なんかもう、センシティブな話題には言及しないでおこう、ってなるのよね。面倒くさすぎて。
もちろん、もしかしたら単純に歳を取ったからかも知れない。「うんこの投げ合い」という素晴らしい表現がある、ネットの小競り合いがちょっと鬱陶しく、自分が当事者じゃなかったら眺めていられるけれども、自らその中に踏み込んでいくのはちょっと嫌だなあと言う感じがあり。今さら、主にメンタル的なエネルギーと時間をそっちに取られるのはほんと苦痛なので、やっぱり踏み込まない。踏み込まないし、踏み込まないことも言わないし、なんならそういう騒ぎがあることを認識していると言うことも言わない。言ったとしてもTwitterあたりに流しちゃう感じ。ブログには書かない。
そういうことをしていると、面倒くさいことには巻き込まれない代わりに、あんまり心理的に深いことを書こうとも思わなくなってきます。まあいいや的な。別に熱く語らなくてもいいや的な。熱が無くなったわけではないとは思うんだけど、それを表に出すタイミングを選んでいる的な。そして、そのまま逃してしまっている的な。素直に「思っていることをそのまま書く」でいいんじゃないの、と思うこともあるんだけど、頭おかしい人に見られたときの対応のめんどくささを考えるとねーリスキー。昨日も、某ニコニコ動画でプロ野球関連の動画を制作・投稿していた人が、頭おかしい1人の視聴者の、陰湿で粘着的な嫌がらせコメントのおかげで動画制作を止めてしまうということがあったんだけど、まあそういうこと。ネットにおける1人の持つ負のエネルギーはほんと大きい。それを受ける余裕はないし、うんこはうんこ愛好者同士で投げ合って置いて欲しい。なので、踏み込まない。
本当は、踏み込んだ方が面白くなるんだろうとは思うんだけどね。でも今、ゆっくり考えを巡らすような時間が全くないので、踏み込むきっかけすら作れないって言う。いつも考えてるようなこと、つまり仕事のことなんかは書けるんだけど、そんなのいかにも僕以外が読んでも面白くなさそうだしな。結論としては、面白くなかったら、それはそれでもう仕方ないよね、って感じ。昔から、読者受け考えてやってきたわけじゃないからなー。ただ、ブログを書く人間として、もう少し好奇心や興味は持っていたいとは。思っています。それを文章に落とし込めるかどうかは別の話として。