参考エントリとしては、この辺。
エントリの中の引用エントリも含めつつ。

おれは最初の段落読んで、創作として書かれている文章だったから「ああ創作か」と思った。

この「ああ」はいわゆる「テキストとしてうまく書こうとしている部分」のことで、そのへんはまぁこのあたりにも書いた(→テキスト巧者について)こととも通じるんだけど、テキストサイトの日記をずっと読んでいるとこういった文章に慣れてくるので、いい悪いは別にして、とりあえず創作として読む。

 

おいらはまぁ、2ちゃんねるのコピペにせよ、ブログのエントリにせよ、
基本的に面白がって読んでます。


そこに、実話か創作かなんて言う厳密な概念は存在して無くて、
正直言ってそれが実話だろうが、創作だろうが僕にはまったく関係がない。
僕はそのテキストを、テキストとして読めればそれで十分なので、
実話と書いてあれば実話なんだなと思うし、創作とあれば創作なんだなと思う。
書いてなければ、とりあえずネタとして読む。


それは事実がどちらかということではなく、つまり信じることとは別の精神構造で、
物語を読むに当たっての舞台設定でしかない。
だから筆者ないしは作者が、創作を実話と見せかけようと、実話を創作と見せかけようと、
物語の中身に関して言えば特に関係ない。

一つのテキストに対して、
実話か創作か(筆者または作者の設定が正しいかどうか)について、
あれやこれやと考えること自体が、ストーリーを読む上でははなはだ無駄だ。

つーか、わからんし。


そういう意味でシナ千代さんの、『とりあえず創作として読む』というのは一つのスタンスだと思うし、
逆に『とりあえず実話として読む』ってのも実は同じスタンスで。
要は、設定なんだから、どっちだって構わんわけですよ。


こういうのは結局、2ちゃんねる(というか主にまとめブログだけど)のスレッドを読んでくうちに、
自然と身についたモノで、それが釣りかどうかなんてことは、基本どうでもいい。
実話だから面白いとか、創作だから自由な発想…なんてものは、
ストーリーを楽しむ上では不必要な要素で。いわば過剰包装。
僕は、釣りだと100%わかってるネタでも泣けるしね。関係ない。


そういう視点で一つのテキストを実話と見なしてなにがしかのリアクションをしてる人を見ると、
そのリアクションそのものまでが、ストーリーを楽しんでる範囲にはいるね、とか思うんだけど、
自分が設定した舞台設定がよくわかって無くて、楽しんでることもわかって無くて、
自分と同じ楽しみ方をしない人間を攻撃したりする。アホくさ。

いや、むしろ、そのこと含めて大がかりな舞台なのかもしれん。
そういう意味で、やいやいやってる観客の暴動なんかも含めて、
テキストの提供しているストーリーなのかもしれん。


何にせよ、ネット上に落ちてるあらゆる文章においては、
完全なる実話性は全く担保されてない。
担保されてないけど、そのテキストの持つ価値、影響力には特に関係ない。
筆者または作者の言うことを信じるのは自由だし、信じないのも自由。
楽しみ方ってのはそういうとっから離れてる気がするなぁ。


電車男 (新潮文庫)電車男 (新潮文庫)
中野 独人


Amazonで詳しく見る
by G-Tools