差別はこうして生まれてきたのか。
こんな記事。 どう思うかは人それぞれであろうとは思う。
極めて、ノーテンキに差別のことを考える。 京都には、部落、と言う差別制度があるが、 静岡では殆ど見なかったので、始めはかなり衝撃だった。 確かに、そう呼ばれる地域はどことなしか不気味で、近寄りがたかったが、 京都人が感じることはどうやらそういうことではなさそうだった。 とりあえず、無かったことにする。 街全体にそんな雰囲気がある。 時折見えるビラも、忘れさせないために撒かれているような雰囲気があり、 逆に、部落は差別であると言うことを、意識させ続けている印象さえ受けた。 (差別の原因だと言っているわけではない) 『学区で人を値踏みする』という価値観にも驚いたが、 (田舎か否か判断するが、人柄までは値踏みしない…恐らく京都以外では) 僕にはどうもよく分からない。 勉強不足故に、部落の始まりについてはよく知らないのだが、 (むしろ知ると縛られそうで、見ないふりして逃げているのかもしれない) 麻原一族が、今後、何十年と迫害されつつも増えていくと、 結果として、ある程度の数の『被差別集団』を作り出すことになるんではなかろうか。 接触することを拒み続ければ、 受け入れる、受け入れないという争い以外のトラブルを生まないわけで、 現状、問題はないかもしれないけれども、 流れの中で見ればやはり間違ったことのような気がする。 彼ら(松本被告の子供達)を祭り上げる大人達には、 ひょっとしたら、法律上もしくは道義上、罪があるのかもしれないが、 彼ら自身になんらかの罪があるのだろうか… こんな状況が続いていく中で、 日本国として、彼らに適切な教育が出来ているとは思えないし、 (まぁ学校で出来るかという根本な問題はあるけれども) 結果として、多くの差別を生んでしまうだけなのでは… 『保護』した方が良いとは限らないわけだから、 そこになんらかの権力が介入せよ、と言っているわけではないのだけど、 そうではなくて、 極単純に、彼らも、彼らの周りの大人も、それを含むこの国も、 きちんと育っていってくれると良いなぁ、と思うのだ。オウム真理教松本智津夫被告(51)=教祖名麻原彰晃=の二男(11)が、私立春日部共栄中(埼玉県春日部市)の入試に合格したのに、松本被告が親であることを理由に入学を拒否されていたことが2日、分かった。松本被告の弁護人が明らかにした。 弁護人によると、二男は1月に実施された入試に合格。入学金も支払ったが、その後に松本被告が親であることが分かり、同中は2月に入学を拒否した。 同中の矢口秀樹校長は「入学拒否の項目を定めた内部規定は特にないが、松本被告の子が教団の影響下にないとはいえないと考えた上での判断。学校としては他の生徒、保護者が安心して勉学に励める環境にしたい」としている。