謹賀新年 2006

皆様、新年明けましておめでとうございます。 旧年中は、本当に多くの人に助けて頂き、感謝の言葉もありません。 本年もまた、多くのことで ご協力をお願いすることもあるかと思いますが、 引き続き、力を貸していただければ幸いです。 よろしくお願いいたします。 …というわけで、 アケオメ━━━━━━(≧∀≦)ノ━━━━━━ !!!!! (超テンションたけぇ) いや昨日は楽しかったっす。 ウェラーズのDJは正直、めためたでしたけど。飲み過ぎでした。 みなさんすみません。 ウェラーズで一番覚えてるのは、ブースでの苦闘と、 トイレです(笑) それにしても、0時10分前に、カウンターに並んだ、 14個のテキーラショット(笑) あれは、メトロ的にも大層邪魔だったろうなぁと、思うんですけれども、 気の合う仲間と、今年も祝杯を挙げられたことが、マジで、嬉しい。 特に去年は実家に呼び戻されて、できなかったからね。 さて、また今年も、 いろいろあるんやろね。 楽しみです。

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特別企画:2005年、プライベートを振り返る。

『書き納め』と書いておきながら…振り返るなら年内にやっておかねばな… ということで、『特別企画:2005年を振り返る。』 あんまりこういうことはやらないんですが、 2004年に引き続いて今年もやけに長?く感じたので、 さて、何が起きたんだろうなぁ…と。 幸い、手がかりはたくさんあるので、 仕事のこと、プライベートのこと、その他色々と、 まとめてみようと思います。 なお、文体的に非常に内輪ネタになる可能性がありますが、 その辺は適当に回避してくださいませ。 (書いてみないとわからない) また、敬称および、(当時)などの説明は出来る限り省きます。 では。いきますか。

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本年の書き納め。

長かったか、短かったか、 なんてことは、もうよく分からない きっと、もう、どうでもいいことなんだろう 書いた文章は、いつかのアーカイブに仕舞ってしまった。 本年はこれにて、MUTTERは、書き納め。 みなさま、2006年もよろしくお願いいたします。 良いお年を。 is/Nobody -- NOBODY:PLACE

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iPod購入に関する苦悩(未解決)

以前より、僕には移動中に音楽を聞く習慣がないから、 iPodを必要とはしていない、 と言うようなことを書いているのだけど。 正直に言うと、移動中の選択肢として、音楽があっても良いとは思う。 事実、5年くらいまでは、自転車に乗って爆音で音楽を聞いていたのだ。 (通り過ぎてしまうから歩行者ほど嫌な目で見られなくて済むし) ただ、移動中に音楽がなかった5年間が、 暇を持てあましていたか、と言うと案外そうでもない。 音楽に向かう意識を、周囲に向けていたと言っても良いかも。 音楽がリラックス効果を生むように、 待ちの様々な変化を感じ取ることもまた、同じような効果を生む。 ただ歩いてるだけじゃ、単なるコンクリートの街だけどね。 そんなわけで、iPodを購入することに関しては、 財政的な問題だけではなくて、 それを導入することによって、 何かを失うことに対する恐れ…みたいなことがあって、 なかなか決心できない。 会社へ向かう行き帰りに、お気に入りの音楽(または落語)を聞きながら歩けたら、 それはそれで、きっと楽しくなるだろうとは思うのだけど… たぶん、自分で気がつかないままに、失うだろうってのが嫌で。 『人によって多少は違うかもしれないけど、結局みんな変わらない毎日でしょ』 なんてことを友達が口にしていたけど、 それはどうかな。 僕は、何も新しいものを感じない日はないけどね。 昨日がどうであったかを見てないと、 今日がどうなっているかも分からないだろうし… 悩んでないで、さくっと買ってしまえばいいのかな。 うーん。

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Calendar2006

こう年も押し迫ってきますと考えるのは、今年のこと、そして来年のことですよね。 まぁ人によっては、今までのこと、とか、今後のこととかまで拡大しちゃって 収拾の付かないお酒になってしまったりするかもしれませんが。 それでですね、 来年のことを考えて頭によぎるもののひとつが、カレンダーですね。 僕は、2004年、2005年と、 『水曜どうでしょう』卓上カレンダーを愛用しておりましてね。 今も、僕の司会の片隅には、 胸をはだけた大泉さんの横で、 いいじゃないか運動真っ盛りなミスターが入っていたりするわけです。 2006年はどうしようか… そう思ったときに、僕は一つの決断をしましてね。 『もう、どうでしょうカレンダーは飽きた、他のものにしよう』 だから、ロッピーでの予約もしませんでした。 まぁ、今年は良いか、と。 代わりに、僕が選んだのは、ほぼ日の、SayHello!カレンダー。 ホワイトボードで書いて消せる!と言うのがウリなんだけど、 あいにく僕はカレンダーで予定を管理しないので、 (すべて、携帯のスケジュールに突っ込む…人と共有しないからだと思う) それはそれとして…やっぱり、写真が可愛い! そんなわけで、家で使う用と、職場で使う用と、二つ注文したのでした。 で、実際に家に置いてみる。 カレンダーって、こう…月ごとに、どんな写真があるのかな? と思って楽しみにしてるってことありませんか? 実家の母親は、ある月の写真があまりに気に入ってしまって、 その年、トイレのカレンダーは、その月で止まったことがありました。 そういう意味で、SayHello!カレンダーは、犬好きの方には持ってこいですね。 自分の愛犬の写真がベストなのは言うまでもないんですが… そうでなくても、ホッとする部分てのはあります。 携帯でいちいち確認するような無粋なカレンダー生活ともおさらばです。 職場でも、犬に癒されて仕事をしよう! …そう思った、翌々週、HTBオンラインショップで、 卓上カレンダー単品を買ってしまった… やはり、戦場には漢のカレンダーなのか。 今年も、職場では視界の片隅に、ミスターがいるのか。 ていうか、もう一個のSayHello!カレンダー、どうしようかなぁ。

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殺人とは何なのだろう。

手塚治虫『火の鳥』の中の1エピソードが、不意に頭によぎって、 殺人とは、一体全体何なのだろう、と考え込んでしまった。 殺人のどの部分が罪で、それはなぜ、他の生物を殺すこと、 例えば蚊を叩いて殺すことと、区別されているのだろうか、と。 誤読を防ぐためにあらかじめ言っておくと、 何も殺人を許容しようとしているわけではない。 刑法その他の法律に疑問を呈しているわけでもない。 ただ、それはなぜ、禁忌とされているんだろう、 他の生物と人間とを区別しているのはなぜなのだろう、と思った。 その『火の鳥』のエピソードとは、こうだ。 食糧不足や種の絶滅などの問題を解決するために 各国でクローン技術が研究されていたが、完全なクローンは生み出せていなかった。 ただ、ペルーの奥地、インカ帝国の末裔と呼ばれる人々が取り組んでいた研究だけは、 完全なクローンを作り出すことに成功していた。 日本人の実業家が、その技術を買うべく出掛けるのだが、無碍に断られ、 挙げ句の果てに、火の鳥の化身の手によって、自らがクローンになってしまう。 数年後、日本では、クローンを狩る番組がTVで放送されるようになり、 大きな話題を呼んでいた。 そのTV局の社長の言い分は、 『目が一つ無いとか、指が2本多いとか、人間と違う特徴があれば良いんだ、 人間じゃないのなら、殺人にはならないよ』 まさに詭弁ではあるが、反論もなかなか難しい。 そう考えると、『人を殺すことは罪』…小さな刑罰を割愛して極端に言うと、 『人を殺すことのみが罪』とする人間の倫理観は、 嫌悪感や種の危機感以外に、 何の理由もない、意外と自分勝手な考え方なんじゃないか、と思ったのだ。 隣人を愛せよ、はイエス・キリストの言葉だが、 キリスト教は、主に人間の平等を説いている。 でも、仏教では、すべての生命の平等を説くこともある。 人間だけが生きているわけではないし、死ねばミジンコも人と同じなのだ。 宗教を持ち出すとややこしくなるが、 つまりは、蚊を殺すことさえも、本来は罪であるべきことで、 殺人が悪いこととされるのは、純粋には、 それが罪であるからではないような気がする。 ふと思って、5分程度巡らしただけなので、 何の論拠も、むしろ何の結論もないのだけれども、 そんなことを感じた。

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考えるべきことが多すぎて。

考えるべきことが多すぎて、 ときどき、『どうしたらいいのだろう?』という焦りすら感じる。 ここで敢えて列挙することはしないけれども、 どれもが、時間を掛けてじっくりと検討しなくてはいけないことで、 少なくとも、1日1時間とか、 思索を巡らしたいような、そんなことだ。 でも、それをすると、僕の1日は30時間はないといけない。 テーマによって状況もそれぞれ異なり、 また必要とされる能力も異なる。 漠然とした不安が大きい物もあれば、 0から構築しなければいけないものあるし、 ぶっつけ本番で良いよね、と半ば諦めているようなこともある、 いずれにせよ、優先順位はそれなりに付いてはいるけれど、 それはあくまで期日を加味した順位であって、 それぞれのテーマが、毎日時間を失っていることに違いはない。 自分一人で考えられることも多いから、 取り敢えずまとまった時間、1週間程度を、 周りの時間が止まった状態で欲しいけれども、 あいにくと、そう易々と時間は止まったりしないわけで。 やっぱり、どうしよう、、、と思っているわけです。

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長風呂。

以前から、風呂はゆっくり入るのが好きだったけれど、 最近、特に長く風呂に入っている。 風呂に入ったり、浴槽のへりに腰掛けたりしながら、 1時間以上。2時間近くなるときもある。 その時間の間、体を温めたり、冷やしたりしながら、 多くの時間は本やマンガや雑誌を読んで過ごし、 ときどき、手を休めて考え事をする。 天井にある換気扇は、そのまますぐに外に繋がっていて 通りを走る車の音が聞こえる。 人の話し声が響くこともある。 きっと、この部屋が角部屋だからだろう。 ゆっくりと、体の疲れを癒しながら、一日緊張していた筋肉をほぐし、 (もともと膝が悪いから、毎日ゆっくりと筋肉を伸ばす必要がある、) 湯に浸かるまで体の中にあったイライラや、ストレスを、 少しずつ、外へ追い出していく。 ここを抜け出す頃には、きっと、 通りを走る車の音も、少しは少なくなり、 心にも平静が訪れているだろう。 あとは、体が冷めぬうちに、布団に潜り込めば良いだけだ。 その前に、一服。

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別れの言葉。

友達の家族が亡くなった話を聞いて、 去年、おじいちゃんが死んだときのことを思い出してた。 そうね、まぁ長男の長男ってことで、 喪主(父親)がいないときは挨拶回ったり、 (偉い人だったんでね…とにかく、参列者が多くてね) 俺よりも、 ずっと隣で一緒に住んでた、 ばあちゃんと、おばちゃん(独身)の方が辛いだろうし、 笑って、ね、別れようよ、っていって、 みんなで馬鹿な話して笑ったり。 あんまり、しんみり、泣くような場面ではなかった。 葬儀の日、火葬から葬儀場に帰ってきて、 お経とお焼香、多くの参列者、友人、喪主の挨拶と、 孫代表の挨拶があって。 役割的にも、まぁ、あれ的にも俺だ、 ってことになったらしくて任されてた。 京都から帰って、その日の晩に下書きを書いて。 どうしようかな、と悩んではいたけど、 それは一般的な書き方を知らなくてどうしよう、ということであって、 自分の文章力自体にはさほど不安はなかった。 でも、ニュアンス的なことに迷いがあって、 一応、家族に相談してみた。 妹は…もっと派手な言葉をちりばめて、 感動的な大団円にしたかったらしい。 泣きの言葉がちりばめられて、号泣しながら、しゃべるような。 彼女なりに考えて、 そういう原稿を書いてくれた。 でも僕は、そういう挨拶にはしたくなかった。 もっとね、シンプルに、 飾り立てた言葉ではなくて、 自分の心情や、想いに依った言葉を、最後にかけてあげたかった。 それが、僕が今まで生きてきて得た、自分らしさの一つの形だし、 なにより、自分の言葉で語りたかったから。 なるべく、平易な言葉で。 なるべく、誰にも分かりやすいように。 なるべく、率直に。 僕の心も、在りし日のおじいちゃんの姿も、 一つも飾ることなく、ありのままで。 できあがった挨拶は、凄く簡素なものになった。 でもね、それで十分なんだよ。 立派である必要なんか無かった。 僕が、想いを持って、読み上げるんだから。 大事なことは、伝えることなんだ。 僕が、おじいちゃんと最後の会話をして、 したためてきた手紙を、墓前に供え、 振り向いたとき、泣いていない人はいなかった。 嬉しかったんじゃない、 そうではなくて、 僕の言葉と想いが、多くの人に伝わったことで、 きっとおじいちゃんにも届いたかな、と、 少し、安心したんだ。 言葉とは、そういうものだよ。 本当に大事なのは、飾りの部分なんかじゃない、 想い、なんだよ。 僕は、そう信じている。

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いくみち。

母親が、北海道の祖父母の様子を見に実家に帰っている。 ちょうど母親の誕生日でもあったので、 おめでとう、と、祖父母の様子はどう?というメールを送信した。 しばらくして返信があり、

ありがとう北海道の夜は早くいまはねています。老人たちのふけようはたまりません。まあ私のいくみちだからね。すこし涼しいです
僕は、これを読み…、 何とも言えない感じを受けた。 そうなんだよね、いくみちなんだよね、 いずれ自分も衰えていくんだ、 だから、目をそらすわけには行かない、 でも、自分もああなっていくんだ…と思うと、 感じてしまうことがある、 メールがあまり得意でない母親の、 簡潔な文章の中に、 様々な感情を感じた…。

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