電源プラグを自分で交換してみた。

無事修理できた電気プラグ ※作業に必死だったため、写真は殆ど撮り忘れています。 コーヒーメーカーの電源が入らなくなりました。 それまでも付いたり切れたりすることがあり、「やばいなー」と思いながらも「いやもしかすると延長コードのせいかもしれない」なーんて思っていたんですけど、ある朝電源を入れたら「バチバチッ!」と火花が飛んで若干手が焦げて。熱くは無かったけどビックリしてよく見たらこんな感じで電源コードが断線していました。 08_01.jpg

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わからないことは「わからない」と言って聞くようにする

Ethos これはきっと性格なのだと思うのですけど、油断するとすぐに知ったかぶりしてしまったり、「まぁいいか」と聞くのをサボってしまったりするのです。良いこと無いんですけどなんとなく誤魔化せるような気がして。「まぁいいか」と言ってしまう理由は一口には言えないんですけど、主な部分を占めているのは例えば「わからない」というのが恥ずかしいというような感情。「そんなことも知らないの?」と言われるのが嫌だなあ、ないしは怖いなあ、なんてことを考えてしまうのです。そんなこと考える必要はないと「考えて」はいるんですけど、体が反応しちゃうんですよね。そんなことは考える必要は無くて「聞くは一時の恥」なのだからそこで解決した方が良いし、だいたい「わからない」と言ったところでそれを嗤う人なんてそんなにいない、そう考えてはいるんですけど。 なので、努力して「わからない」と言うようにしています。 ハキハキ喋るのと同じで、意識してやっている内に身についていくんでは無いかなあと期待して。

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「東方プロジェクト」の商標の話のまとめ(追記・訂正あり)

この記事は商標に詳しい友人から継続的に聞いている商標に関する話を元に、調査を行ってまとめたものです。商標についてはとても興味を持っていますが僕自身は商標に関する仕事には就いていませんし、資格も所持していません。また商標の登録については特許庁の審判官の判断の占めるウェイトが大きく、また時代によって解釈も変わるので、ここに書かれた情報のうち、事実の確認でない、解釈を含む部分については法律上の正しさを保証できません。その辺ご了承の上読んでくださいまし。
いろいろと話が動いたらしいのでこの記事の続きを書きますよ。 「東方プロジェクト」の商標出願について | mutter

これまでのまとめ

上の記事を書いた段階では、金子浩二さんという方が「東方プロジェクト」という名前の単語を図表付きで商標出願したということと、いわゆる東方プロジェクトの作者であるZUNさん(本名:太田順也さん)が「東方プロジェクト」という単語を商標出願したというところまで話が進んでいました。当時金子さんの出願は不備があったためか差し戻しになっていましたが、現在の状況はと言うと…商標の出願は認められ商標として登録されました。 04_02_01.jpg

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久しぶりに一乗寺「高安」に行ってきました

高安なう!10年ぶりくらい! #lunch 左京区から引っ越してしまって以来すっかり足が遠のいてしまっていたラーメン「高安」ですが、今でも健在どころか有名に拍車が掛かっているようなので「ラーメン食べたい」という休日の衝動を利用して行ってきました。たぶん、10年ぶりくらいかあ。引っ越しの時に両親と行ったような覚えが。新店舗になってからだと3回目くらいだけど新店舗になってからももうだいぶ経つよね。 そうそう、高安、いまでこそカフェと見まごうようなオシャレな店舗で営業していて、場所も東大路通りに面した解りやすい場所にありますが、以前はもう少し南西の住宅地の中にあったのでした。床が脂で少し滑るカウンター6席・2人がけのテーブル2席くらいの狭い店で、働いているご夫婦もよく見えるというそういうお店。その僕が通っていた頃の店舗に比べると今の店は広くて明るくてその代わり厨房は見えないお店になって随分変わったけれど、味は多分変わってない。醤油辛いのではない、脂でこってりなのでもない、だしつけ麺のようでもない、「ダシのきいた少しあっさり目の豚骨」というのはありそうであんまりないのですねぇ。高安は高安。 …などと解った風なことを書いていますが、実は食べてみてから、「ああそうだった、高安ってこういうラーメンだった」って思い出しだのでした。なぜだか想い出の中にあった高安はもっとこってりとしたラーメンになっており、京都ラーメンより天下一品寄りだったような気がしていたのですが全然そんなことは無かったぜ。記憶ってのは当てにならないもんだなぁ。あっさりしたラーメンや、ダシが主張するラーメンを好んで食べている内に、相対的に高安のラーメンを「こってりしたラーメン」と思い込んでしまっていたのでした。違うやん。正直すまんかった。 僕が店に入ったのが昼間の13時半頃で(運良く並ばずに入れた)店を出たのは14時頃だったのですが、平日昼間の14時でもお客さんが10人ほど並んでいて、人気の高さを伺わせました。変わらないなぁ。店大きくすればするほど忙しくなるだけって言う(笑)食べることだけ考えたら支店出して欲しいなぁとも思うけど、同時に今の体制を維持して貰うのが味を維持するのに一番いいのかなぁとも思っています。中京区から北泉通りはちょっと遠いけど、また行きます。

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何かのためにトレーニングしているのではなくてトレーニング自体が楽しみ

#sky 「(ほぼ)毎日走っているんですよ」と言うとたいていの人は「何のために走ってるの?」「マラソンか何か出るの?」というようなことを言われます。確かに毎日走ってるというのは普通は目標達成のための手段であって、その結果5kg痩せたいだとか、フルマラソンにチャレンジして4時間を切りたいだとか、ということに繋がるんだろうなあとは思いますが、実は僕にとってはそこは必須の目標というわけではないんですよね。確かに減量になれば良いなと思っているし、そのうちフルマラソンも走りたいなあとは思っていますけど、それ自体が目標ですか?と言われるとどうだろう。仮に体重が目標の数字に到達しなくても、いつまで経ってもフルマラソンを走らなくても、それでもきっと僕はがっかりしないだろうなあと思うわけです。初めはともかく今時点では、毎日仕事から帰ってきてご飯食べて走って風呂入ってビール飲んで寝る、というのが毎日の習慣であり仕事や日常のストレスと上手く付き合っていくための方法であり、将来の幸せのために苦行を重ねると言うよりはそれ自体が快楽という状態になっているなあと。 それでも「何のために走ってるの?」とはやっぱり聞かれるし、それに対して自分として素直に答えようとすると「走りたいから走ってるんだ」という回答になって何か感じ悪いんだけどでもそんな感じ。やっぱりさー日々やってることなんだからその程度の動機で続けられる方が良いと思うんだよね。日々やってることは人それぞれ色々あるだろうけど、毎日絵を描いてるとかギターを練習してるとか論文を読んでるとか、何かのために我慢してそれを続けるというのでも良いのだけどそれ自体を楽しめるようになるともっと楽しいよね。んで、これはそれぞれの性格にも依るのだろうとは思うのだけど僕の場合、成果や遠い目標のことはあまり追い求めない方が最終的に良い結果を得られるような気がしています。我慢強くないと言うことなのかも知れませんけど、でも楽しむというのは本当に大事だよねと。 毎日の習慣で「楽しむ」を意識できないことは、改善の余地がある…そう思っています。

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職場のそばのコンビニの女の子が髪を切ったようだ

raindrop 近所のコンビニにもう2年くらいは働いてる女の子がいまして、印象は比較的可愛いけど化粧気があまりなくつっけんどんで愛想があんまり無いという感じ。もっとも35歳の見知らぬ男性にやたらと愛想が良い女の子とかいないのでそんなもんだろうとは思うのですけど、ここ3ヶ月くらいですかね、たまに話しかけられるようになりまして、おやおやどうした。何か良いことでもあったのかな。現実的に考えて彼氏が出来たとか、そういう幸せ要因があって柔らかくなったんだろうなーと思うわけですが、可能性の問題として大人の男性でありパートナーもいる身ですんであんまり親しげな会話して余計な期待を抱かせるのもと思いつつ、週に1回くらいのレジでの30秒くらいを和やかに過ごしていたわけです。 あ、こう書くとコンビニの店員とのやりとりって凄い逢瀬的な感じに見えるな(笑) 単にバイトにはシフトがあり、こちらは毎日行くわけでもないというだけなのですけども。 何を言うでも無く会釈するだけだし。 んで、その女の子が先々週くらいだったかなー長めだった髪をばっさり切ってきたんです。多分腰くらいまでの長さでずっといたのを、うなじが隠れるくらいのショートに。女の子一般的な髪型に関しては長いのは長いので良いと思うんですが、ショートはショートで良いと思うわけで、まぁその女の子もよく似合ってる。当然こっちは気付いてるわけで、なんかこう言ってあげた方が良いんだろうなーと思いつつ、でも別にそれ以上の何もないしあんまし喜ばれてもアレなのでとりあえずノーコメントで。友達であればねー普通に言うでしょうけど。名前もしらん女の子と仲良くする理由がないしなぁ。 しかしよくよく考えると「あの子は俺に気があるのかも」などと思うこと自体が自意識過剰で痛いわけで、そんなもん微レ存なわけで、普通に会話するくらいしなさいよ。しかし根本的には社交性の問題というか人見知りの問題というか、どうしたもんかねぇ、とか思いつつもうすでに2週間くらい経っちゃって、今さら「髪切ったんですねー」とか言うのもあれなのでまぁいいかというあれで、でも多分予感として、どっかで誰かと繋がってそうな気がする。「ああ、その子わたしの中学の時の同級生!」とかいう友達が1人くらいいそうな。京都って狭いし。都市の規模が小さい割に京都を出て行かない若者が多いからなぁ。 そんなことを漠然と考えてる梅雨の午後。

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