このところずっと 雨が続いている しとしと 降っていたかと思えば 急に雨足が強くなり 次の瞬間上がってしまったりする 外出するときに 傘が手放せない 子供の頃、 雨が移動していくのが不思議だった 雨は 雨雲が降らしていて 雨雲が 偏西風に流されて 東に移動するのだ…と 理屈の上では分かっていても、 見えない何かが 街を徐々に変えていくような 『もうすぐそっちへ、行くよ』 という感じが不思議だった 雨の降る日は 言葉のない時間が 柔らかい 静けさに癒されるのではなく 静けさに気づくことがぼくを癒してくれる 愛情に触れた瞬間と同じように

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考えてたよりも多少遅

考えてたよりも多少遅れて出勤。やたらと忙しい。帰るに帰れず結局22時。豆板醤が気になったので、帰りに豆腐を買って帰り、麻婆豆腐作ってみる。油を引いて、さっと豆板醤を炒め、それからその上で調理。うわー…辛さが全然違う…唐辛子と一緒だね…燃えるような辛さ。そうそう、こういうのが食いたいんです。胃には確実に悪いんだけど…(苦笑)

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かなりの大雨を肴に、

かなりの大雨を肴に、F1見ながら、独りでビール飲んでたら、なんだか楽しくなってきた。うーん、いかんな、まだメトロには行けねぇな(苦笑)そうなのよねぇ…感傷的にはなってるけど、酔ったりハイになったりして、楽観的になると、別に自分は悩んでるわけじゃないってことを実感するんだよねぇ…ただ単純に、悲観的になってるだけで。感傷は悩み事は違うんだもの。例えば遊びに行くときは、悩み事は部屋に置いていくから、ブルーになんかならないわけ。どうしても携帯しなくちゃならなさそうだったら、出なきゃいいし。てか、深夜のBGM、懐かしすぎるレゲエ…今、様々な人間関係になっちゃった人々のそのほとんどと出会う前の、夏の想い出のアルバムなんだよなぁ…このときも女の子、泣かせました。後悔してるけど仕方ないことだったんだよなぁ…。 夏の海に行きてぇぞぉぉぉ。連れてけ、市場。約束したんだし。

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四川豆板醤

最近の辛さ趣味が高じて、ついに豆板醤購入。 しかも…『タバスコには飽きたから』っていう動機。 別に、タバスコダイエットしようと言うつもりはないが(苦笑) 早速、麻婆豆腐に投入。 当然、麻婆豆腐は既に辛口。 大辛になる予定だったんだけど、豆腐投入後、入れたので、 余りよく混ざらす味が染みず、 部分的に激辛(汗) まぁ、好みってのは結構よく変わるもんだけど、 この状態…どうなんでしょう? まさか、悪癖、『ストレス→大食い』の 変形バージョンじゃなかろうな… なんか、悪いところがあるとかじゃなきゃいいけど。 にしても辛いもん食いたいんだよねーヤバイくらい。 汗だらだら流して、『痛い』って言いながら、 泣きながら食べたい(笑)

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本日は9時半起き。ま

本日は9時半起き。まぁ、なんだかんだで6時半過ぎまで眠れなかったのだが。昨日はメトロ14周年…も行かずに家にいた(あんまりそういう気分じゃなかった、次の日早番だったし)んだから、早く眠れば良かったのに。まぁいいや。適当に長い夜を過ごす。今日は特別眠いと言うこともなく、新しいシステムの設計を前にセキュリティに関して集中的に(わかりやすく言うと泥縄方式で)取り組む。なかなか勉強になる、そして今までの仕事が結構不安になる。街は午前中降っていた雨も上がり曇り空。でも今日の夜からはまた雨になるらしい。仕事終わって帰宅するまでもってくれれば良いんだが。今日は、飲み会も流れたし、寝る。予定。わからんけど。誰かに電話したい気分。

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22時帰宅。さくっと

22時帰宅。さくっと麻婆豆腐作って夕飯。疲れた…頭痛い。さすがに、11時間モニターを見続けるのはキツイ。仕事中は、忙しすぎて余計なことを考える暇が無くて、逆に楽だ。人生は余計なことにこそある、ってのは誰の言葉だっけか。ほんとに、そう思う。

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気持ちの空白

意志に反して、 気持ちの空白を強く感じる場面が多くなっている。 確かに仕事は順調だし、 私生活もぼちぼち動き始めている、 イベントも本格的に月1で始まるし、 虚無感を感じる必要は全くないのだけど、 何かが足りない。 繰り返し言っているとおり、そのうちの一部ははっきりしていて、 要するに『恋人兼親友』に対する喪失感なのだけど それはもう今ここで言っても、仕方がない。 もしかしたらここを見ているかもしれないし、 これ以上彼女を精神的に縛るのは 良くない。 しかし、それだけではなく、 何かが足りない、と、最近感じ始めている。 それは、マクドナルドになくてモスバーガーにあるもの、 ファミレスになくて定食屋にあるもの、 なか卯になくて近所のカレーうどん屋にあるもの(←美味い!) 人生に、味と、温度、が足りない。 この間、帰り道、どんな方法で死んだら苦しくないか、 ということをぼんやり考えていて、なんだか微妙な気分になった。 結果的に特に実行に移す必要もないし、 そもそも、苦しまず、苦しませない死なんて想像できなかったので 帰宅してその話は終わりになったのだけど、 ようするにそういうことだ。 仕事もイベントも、本当に楽しんでやっているが… それがない時間帯、人生のベースの部分でやはり物足りない。 生きることの意義が見いだせない。 きっと、NGOにでも入り、アフリカへ渡って農地開拓でもすれば 満たされるのかもしれない。 それとも、なにか、趣味、か… 試行錯誤は続く。

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Mutterへの最近の思い

正直に言うと、最近、MUTTERを書くことが、怖い。ここを読んでいる人、僕が知っている人もいるけど、誰かわからない人もいる、僕と、ここを通してしか繋がらないような人がほとんどだ。読み返してみれば、この文章群というヤツの中には、現実でエクスキューズする事を前提に、または、現実に対するエクスキューズとして存在している文章が、数多くある。僕自身、読まれることを意識した上で、独り言、と嘯いているけど、実際、現実なしに、エクスキューズだけを読まれることの方が多い。自分としては、あのときこうは言ったけどでもこういうこともあるよね、とか、こうだと思ってきたけど、こう考えられないこともないね、というふうに記述したとしても、正しく解釈されるとは限らない、自分の中の揺れのどちらか一方として解釈される。僕の書くものはそんなに立派なものじゃないけど、世の中のものを書いている人たちというのは、自分のフィーリングと、読み手の持つ感情との差について、悩まないのだろうか?話し言葉では語尾を濁すことが出来ても、書き言葉では言い切らなければならない、『そうだとしても…』と曖昧に文章を閉じたとしても、それは暗に否定を示す文章として、言い切られる。文字は、それ自体に意味を持たせることを、書き手に要求する。それはよいことでもあるし、僕ら日本人のような感性のもとでは、良くないことでもある。僕の中で揺れている感情を書き留めたとしても、多くの場合は、その一瞬の位置としてとらえられる。揺れる振り子を、高速シャッターで写真に切り取ったようなものだ。それを見ただけでは、動いているのか、静止しているのか、よく分からない。 本当は、全て割り切ってしまえばいいのだと思う。このサイトを読むことでしか僕とコミュニケーションをとろうとしない人は、物理的に不可能な場合をのぞいて、僕とのコミュニケーションを拒んでいる、と。ある意味で正解で、ある意味で間違っていることを僕は知っているけど、読んでいる人が求めているのは僕ではなく、mutterなのだと、割り切ってしまえば、どんな反応があろうとも、むしろ、無視されようと、気にはならない。下着泥棒の求めるものはあくまで下着そのものであり、覗き魔のそれはあくまで覗くという行為であり、特定の個人に対する感情であることは少ない。そのことはつまり、このサイトに関わる人間の中で、唯一僕だけが空回りし、一人芝居を打っているのであり、街角でキリスト教の良さを訴えるおばさんと大して変わりがない、ということを示している。 書きたいことを書けばいい。だが、それをすればいつまでも代わり映えがしないことも知っている。もう、いい加減、そんなことを書くのには飽きた。もうたくさんだ。手を変え品を変え、同じことを書き続けるのは精神衛生上、よくない。書きたい、と思うことが嫌で嫌でならない、それが最近の、僕とmutterの関係なのだ。

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帰宅。先週、先々週と

帰宅。先週、先々週と少し集中力の足りない時期があったが、今週は比較的集中して仕事出来ている。しかしまぁ、別に監視されているわけではないだろうけど、集中して仕事に取り組んでいるときは次から次へと仕事が舞い込む。いろんな人から、そそられるようなアイディアを聞かされ、忙しいにも関わらず、つい、やってしまう。気分的には働いた…感が十分あるんだが、やはり…疲れる。9時間+αの労働時間があっという間に過ぎる。それでもまぁ、遅番の時は、残業してると時間帯的につらいんで、自分が切り上げる気になってくれて良い。が、明日は日曜ということもあり早番。正直、ノー残業デーとか知ったこっちゃないので、なんだかえらく長い時間働いてしまいそうな予感。みづきの風邪が治ってれば、飲みに行く予定ではいるんだが、相当しんどそうだし、どうなることやら。もし無理そうなら、目一杯やっちまうかな。明後日はフレックスだし。さて、ビール飲んで寝るか。

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