NOBODY:PLACEのアクセシビリティについて…
白いツバサさんのところで、 『英語多用&高度で一般人には入口を捜すのが大変ですよー』 というご指摘を受けたので、なんだかんだと言い訳してきてみたり。 以下抜粋。
こんにちは。 >ところで、isさんのblogは英語多用と高度に出来ているので一般人は入り口を探すのが大変ですよ。 そうですね。しかし、blogの概念には大きく外れますが、分かる人だけ分かればいい、というのがあのサイトのコンセプトです。既に膨大な数の文章が書き散らされているので、元々タイトルから希望の記事にたどり着くのはほとんど不可能ですし。サイトのどこかに書いてますが、あれはblogの管理システムを利用した、個人サイト、なんです。幸い、やたらと収集されてるようなので、検索でヒットしないコラムは誰も読みたがらない、と(笑)WEBデザイナーにはあるまじき設計理念ですが(苦笑)でも、やたらとバリアフリーなネットアクセスというのも、一概に良いとは思えない、というのが(あのサイトでの)考え方ですね。ビジネスサイトではないので、初めに分かりづらくても、2回目に来て分かれば、それは成功なんですよ。大仰なメニューは良く訪れる客には目障りに見えてしまうモノなんです。 まぁそんな感じで一応言い訳まで…(*ー)いろいろと書いてるけど、早い話、 『わからなかったらわからなくて良いのです』 という、来てくれた人が呆れるくらい、いい加減なことを主張してる。 でもまぁ、本音だろうね… 書きながら、なんとなく京都っぽい考え方だな、とも思ったけど。 このサイト、絶対に、見やすくなんか無いってのは、僕も十分に分かってるんです。 文字サイズが10px(7.5pt)で絶対指定してる時点で、 来る客の半分は読む気を失う(笑) そして、検索で飛んできても、 どれがメニューやらわからん、ということで、アクセス的にも発展しない。 (MUTTERの個別記事には、他のエントリへのリンクすらありません) でも、僕はそれで良い、と思ってるんですよね。 ここを訪れる人には、明らかに複数の種類があって、 一つは、リアルの僕を知ってる人、または、古くから訪れてくれてる人。 もう一つは、たまたま検索でヒットして飛んできてくれる人。 前者の人は、記事の流れを読み、後者の人は、記事そのものを読むんだと思う。 経験上、後者の人は、その記事を読んだら、検索結果に戻るんではないかと。 僕個人に興味を持ってくれるなら、多少分かりづらくてもリンクを探してくれるはず。 目が不自由な人のことを考えていない点でも、 このサイトのアクセシビリティは0点です。 ビジネスサイトならば、絶対に書き換え指令が出る。いや、俺が出す(笑) でもねぇ…そこまでして、多くの人に受け入れてもらおうとは思ってない。 そういう0点のアクセシビリティにも、 僕の考え方があると思ってもらって良いんじゃないだろうか。 例えば、コメント、トラックバックのボタンにしても、CとTのちっちゃいボタンが下に付いてるだけで、 巷に溢れてるblogになれてる人にはわからないと思う。不親切きわまりない。 でもね、わかる人にはわかるんですよ、コレが。不思議と。 『取扱説明書』じゃないから、こういうことは1度分かれば2度目の説明はいらない。 2度目の訪問者には、わかりやすい説明と、大きなアイコン、この2つが無駄になる。 カテゴリーリストで表示したとき、タイトルしかでないのも同じ。 blogというのは便利なツールだけど、 その便利さ故に、時に、ページの中で何が重要かを埋没させてるんじゃないか? 文章に用事があるときに、横目にちらちら入るメニューは必要なのだろうか? コメントはこちら、リンクはこちら、そういう指示がいちいち必要なのかしら? 在る意味で、blogという形態をとりながら、blogというモノへのアンチテーゼでもあるんです。 もちろん、白いツバサさん管理人さんのように、 こちらのコメントを読んで訪れてくれた方が 『どこに行ったらいいかわからない』、と困っている… それを無視するほど冷たい人間じゃないつもりです。本当に申し訳なく思っています。 それでも、このサイトは、訪問者に注文を出すことはしないんです。 好きに、歩いてもらって構わないし、 腹を立てて出ていってもらっても僕は全然困らない。 そういう場所、です。 極めて自己称賛的に言えば、写真を撮ることと似ているかもしれない。 何か撮りたい対象物があるとき、あれもこれもと入れるのは、ただ、記念写真を作るばかり。 旅行先で建物の写真を撮るとき、人のバックに建物を置き、その全景を収めようとする、 必然、人は豆粒のようになり、分からなくなる。 『捨てる技術』なんて本が流行ったみたいですが(そして僕はモノを捨てられない人間ですが) 切ることで引き立たせることも、便利な世の中には必要な気がします。 千利休の朝顔のように。 最後に自省を込めて言えば、 このサイトよりわかりやすく、そしてこのサイトよりシンプルに出来ているサイトは 世の中にもっとずっとたくさんある。 blogを使ってもそうだし、そういうシステムにとらわれなくてもそう。 そんなサイトの哲学的な部分を学んでいければ、と思う。