今日の夢。(2011/04/06)

そういえば書き忘れてたけど凄く印象的だった今日の夢。 どうせカオスですけど。 岩手県盛岡市に旅行か、出張か。 なんだかんだやることがあったのだけど、ようやく駅前のホテルに落ち着いて、 HTBの藤村ディレクターと大泉洋さんと、僕の友人の市場君と4人で楽しいお酒を飲み。 大笑いした楽しい想い出、みたいな夢でした。 いやもちろんそんな想い出ないですけどね。藤村、大泉両氏にはお会いしたこともないし。 盛岡市で遊んだこともないし。 でもなんか凄く楽しかったんだよねぇ…夢の中だけど。 落ち着いたら、東北に行こう。

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「捐」と「援」

「義捐金」と「義援金」は別なものなのかと思ったら、同じものなのですね。知りませんでした。 それどころか「ぎそんきん」って読んでたよ…ATOKで≪「ぎえんきん」の誤読≫と怒られた。 Wikipediaから歴史的経緯を引用するとこんな感じらしい。

義捐金と義援金 [編集] 「義捐」(ぎえん)は明治時代につくられた和製漢語である。「義」は、正しい行い、もしくは公共のために力を尽くすことを意味し、「捐」は、すてる、すてさるの意である。すなわち「義捐金」は、正しい行いのため、公共のためにすてる金を意味する。戦後の国語改革で「捐」が当用漢字に採用されなかったため、「義えん金」と混ぜ書き表記する。一部で「義援金」という表記が見られるが、これは新聞協会による独自の基準で定めた代用表記である。夏目漱石の「吾輩は猫である」に、「義捐を取られる」と口にする苦沙弥先生を、猫が「変なことを言うものだ」と笑っている場面がある。
 
出典があるわけではないので合ってるかどうかは不明ですが、もしこの通りだとすると、
  1. 「義捐」という言葉が明治時代に作られる
  2. 戦後「捐」という言葉が当用漢字から外れて公の場面で使用できなくなる
  3. 「義えん金」と混ぜ書きが正しいが新聞では「義援金」を代用表記とした
  4. 何となくどれでも良いんじゃないの的な
と言う流れで現在の混在した状況が出来たんだねぇ、という。そうなのか。 確かに「援」は「応援する」感じのニュアンス出ててわかりやすいもんね。 そもそもの定義とは違うにしても。 勉強になりました。

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次PCスペックの皮算用

最近、何度かヨドバシに行く機会があってニワカに熱が高まってきてしまったのですが、PC自作したい。 もうPCあるじゃん…とか言わない。 言っちゃうけど、PCが欲しくて自作するんじゃないんだ、自作したいの。 自分でパーツを揃えて高スペックなPCが手に入れられるんじゃないかというあの幻想…癖になりますよね。 というわけで、今思ってる、僕の考えた今欲しいPC。

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愚痴を言う

あんまり友達の特定のツイートにブログで言及したくはないんですが、結構気になっていたので。 先日ある友達が次のような趣旨のツイートをしていました。

仕事の愚痴を言うくらいだったら辞めちゃえばいいのに。 辞めちゃって自分が楽しいと思えることをしようよ。
「楽しいことをすべき」ということについては同意しますけど、 でも愚痴とは少し性質が違うのではないかなと。 むしろ、仕事を辞められないからこそ愚痴を言うんじゃないのかな。 恋愛の愚痴と同じで…「そんなに嫌なら別れちゃいなよ」といわれて、 「はいそうですね」と別れられるくらいなら、愚痴を言う前に別れてるよね。 もしくは、その一言のために愚痴を言うか。 それでも別れられない複雑な心情があってこその愚痴だと思うし、 通り一遍の内容ではないんじゃないかな。 人の心情ってそんなもんだと思うのです。

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