島国根性?

島国根性について、多少とりちがってるなぁ、と思われる方を見かけたので
何となくエントリ。

太鉄さんトコ経由で、絵文録ことのはさんのトコ
太鉄さんがえらい苛ついてる様子だったので気になって読んでみた。

多国語で書けるブログはどこ?ブログ124サービス【文字コード】全チェック
実のところUnicodeでなければならないというわけではない。別にTRONでも何でもいいし、UTF-8だろうと16だろうとかまわないのだが、要するに「多国語を同時に扱える環境を提供してください」の一言に尽きる。だから、このエントリーに対して、UnicodeやUTF-8の不備・欠陥を一生懸命主張されても意味がない。つまり、「UTF-8の布教」をしようとしているのではなく、「多言語対応を考えない鎖国的島国根性への反発」なのである。


まぁ、誤解のないように言っておくと、他言語同時云々には僕は関与しない。
僕はソフトウェア開発者でもプログラマでもないし、別に中国語環境も要らない。
ここで指摘しておきたいのは、ローカル意識を島国根性と呼ぶ、
島国の人間の田舎臭さ、についてだ。


世界一般的に見て、自国にローカライズされた考え方を、
自虐的に呼ぶのは日本くらいなものでは無かろうか。
ニュージーランドの人間は、ニュージーランドらしさを島国意識と呼んだりするのか。
非常に逆説的だが、島国という定義そのものが、既に島国根性に取り込まれている。


ていうか、むしろ。
ある国の人間の意識が、その国の文化、言語、習慣にローカライズされる方が
一般的に考えて当然なのだ。
グローバル化する事が上積みになることはあっても、
ローカライズがマイナスであるとするのは極めてネガティブ過ぎる考え方だと言わざるを得ない。
『絵文禄?』の筆者さんは中国語環境との接点が多いそうだが、
中国人という人種を日本人に置き換えて考えることはないのだろうか?
彼らには多分、ローカライズを恥と見なすような、情けない感情は無い。

中国語と日本語を同時に扱いたい、とする筆者さんの気持ちはわかるけれども、
一般的なWEBの言語体系は、
中心に英語があり、それを各国語にローカライズすることが基本なのだ。
それに問題意識をもって、他言語を扱えるコードも開発されてはいるけれども、
完璧ではない、だからこそ、その基本は今でも変わらない。


そもそも。
ローカライズを忌避する割に、中国語に合わせるってのはどういうわけなのだろうか。
彼我が英語でやりとりすれば、少なくともWEB的には解決することだ。
本当に、グローバルなやりとりを行う場所では、英語以外は認められない。
多少でもネットに参画してる人間なら分かりそうなもんなのだが。


日本語を使用することを、鎖国だと言っている時点で、
残念ながらこの方は島国の人間なのだ。
日本に観光に来て、平気でフランス語で話しかけるフランス人は島国なのか?
ローカルを鎖国と表現することは、戦後日本が犯してきた過ちの1つだ。
僕は別に右翼ではないけれども、必要以上に日本人らしさを薄める必要もないと思う。


グローバル化を薦める日本人から、こんな言葉しか出てこないことが、
僕は悲しい。

追記
松永氏のコメントを受けて、新たなエントリを公開しました。
また勝手ながら、この問題へのコメントおよびトラックバックはご遠慮いただいております。
理由は、僕の論点は言葉を振り回すことへのコメントであり、
松永氏のコラムに関与するつもりは全くないこと、
また、言葉の内容に関しても氏の定義との間に大きな隔たりがあり、
異(い)なるものを攻撃する意図は僕にはないし、そういう定義もあると認めた上で、
論議の余地はないと考えること、が主な理由です。
リンクでこのエントリにいらっしゃった方には恐縮ですが、
さらっと流していただければと思います。