そこにゴミが落ちていないことからわかること

大家さんのイラスト
最近散歩をしていて思うのですが、雨が降ったあとでも街中の道というのは本当に綺麗です。ゴミが散乱したままということは殆どありません。



散歩している途中、雨上がりの歩道で熱心に濡れ落ち葉を集めているおじいさんがいました。住居の前の歩道ではなく、住居が面していない大通り沿いの歩道です。京都市のボランティアというわけでもなく、ごく普通の私服のおじいさんなんですが、自ら改造したちりとりセット(ちりとり部分にレジ袋が装着出来るようになっており、集めたごみを捨てやすくなっている)を手に黙々と。

散歩しながら「日本の道路はホントに綺麗だなあ」と何気なく思っていたのですが、でも当たり前なんですけど、ゴミがないということはゴミが存在しないということではなくて、毎日ゴミを片付けてくれる人がいるってことなんですよね。おじいさんのような人があちらこちらにいて、それは町内会の決まり事かも知れないし、開店前の準備作業かも知れないし、隣近所の目を気にしたマナーなのかも知れませんが、いずれにしてもみんなで街を切れにしようとすることで街は綺麗に保たれている。



僕なんかはマンション住まいで町内会の行事に参加することもなく(子供のいない家庭には声も掛からないんですよね)、ただ掃き清められた歩道を歩いているだけですが、誰かがやってくれているからこそ自分が気持ち良く歩けているのだということをもっと感謝しないといけないなあと思いましたね。今さらなんですけど。どこに行っても綺麗なので、なぜか「自然に綺麗にあるべきもの」だと誤解していました。そんなわけ無いよね。すべての場所において誰かがしてくれているから綺麗なんですよね。



生きている上で、見えていないことってほんとたくさんありますね。いや、すべて見える必要はないのかも知れないけれど、せめて感謝する意識は忘れちゃダメだなあと。そんなことを思いました。