ペパロニみたいな女の子が好きだっていう話【ガールズ&パンツァー】

男性陣はみんな興味がありつつも歳を取るとなかなか話題にしづらくなる、それが好みの話。いや話題にしづらいと言えば男女関係ないか。女性陣だって同じですよね。配偶者がいる状況で安易に「私の好みはこんな人」とか言って、それが配偶者の性格(または容姿)と違った場合に、なんか微妙な空気にあること請け合い。例えば胸の大きさとか、顔の系統とか、スタイルとかね。



そういうことは理解していつつも、最近なんとなく見返してた「ガールズ&パンツァー」を通して思い出した、僕の好みの女の子ってこんな感じなんですよ。アンチョビ高校伝統の「ノリと勢い」だけはありつつも常にポジティブでまず行動っていう感じ。

以前書いたかも知れませんが僕は生来、直情的な人間でありまして。感情に沿った行動を取るという少年時代だったんですね。例えばやる気が乗ればものすごいパフォーマンスを発揮するけれど乗らなかったらほんとカスになるとか、本気で怒ったときには取りうる行動のリミッターが外れてしまうとか。そういう自分は嫌いではないけれど、でも社会生活を送る上では不便なのでなるべく矯正するようにして生きてきました。感情的になったとしても判断は論理に応じて行うとか、やる気が無いならないなりに出来る方法探りつつ自分のモチベーションを上げるポイントを探るとか。そういうことをしてきた結果生きやすくはなったんですが、やはり失ったものもあるよねと思うんですよ。


そしてその僕が失ったものを、ペパロニは持ってる。


彼女と付き合うのは大変だと思うんですよ。デートの約束してたけど寝坊で4時間遅れるとか普通にありそうだし、行こうって約束してた店をキャンセルしてたまたま通りかかった店に入るとかもありそう。家事も気が乗ればやるし乗らなければやらない。一緒に暮らすにはそんな不便なことはないです。結局俺が全部やるのか?ってなるし。いやでもペパロニは家事も出来そうか。少なくとも料理は上手だし、なんでも元気に一緒にやってくれそうではあるな。そうか。

でもねえ、人生そんな程度で良いんじゃないのって思うんですよ。死に至らない限り、ストレスを感じる必要ないことって世の中にスゲー多いと思うんです。結果が最適になるかどうかはわからないけれど、人生の幸せって最適化の先にあるとは限らないと思うんですよね。無駄なことであっても、そこに幸せって落ちてると思うんですよ。そういうことだと思う。


というわけでまあ、もしペパロニみたいな女の子がいたら好きだなあと思うわけですけれど、残念ながら現実の日本にはあまり存在しないですからね。僕は僕のやり方で幸せを追求していくしかなくて、まあそれもある程度成功してて、その上で、ペパロニの活躍を「いいね」って思えるわけです。そんなもんですよねー。


あー、鉄板ナポリタン食べたい。