やさぐれ感 —— からの「責任を下ろして少し休もう」





ちょっとまあ仕事で色々ありましてここ1週間くらい気持ちがささくれ立ってたところへ、台風襲来で久々に4日も走らない日が続き、そして店の都合で久しぶりのダブルヘッダー。もうなんか心身ともに疲れましてね、ちょっと3日ほどやさぐれております。つっても酒浸りとかそういうことはなくてあくまでメンタル的なことですけどね。なんだかなあって感じです。

4日とは言え少し走らない生活になると、いかにストレスの発散をランニングに依存していたかってのを感じます。そう、ストレスが溜まったときにランニングに行きがち、それも疲れているときに限ってそれを上回る疲れでかき消してやろうみたいな破滅願望的なのがある、というのは自覚していたんですけど、それを繰り返すと今度は「走りさえすれば発散できるし、それまでの我慢」みたいなことになってきて、ストレスを持ち込まずに走れるならそれに越したことはないのに、走ることより先にストレスが来るようになってきて、なんかもうそれはダメだなと。ちょっと時間おいた方がいい。



とはいえストレスが溜まっていったら発散しなくちゃ死んじゃうので、溜まるストレスを減らす方法を考えます。40年も生きてきて精神的にキツかった時期もあったので、そのへんの折り合いの付け方というのも少しはわかるようになってきました。誰にでも応用が利くとは思いませんが、ストレスを減らすために一番に考えるべきことは、責任を負わない。特に職責、待遇などの点で自分が負うべきではない責任や、誰に言われたわけでも無いけど自分が良かれと思ってやっていたことによって発生している責任を、全部下ろす。

責任を下ろすって言ったって急には出来ないよとなるわけですが、それを承知で下ろすとまあなんというか「急にそうした」みたいな感じにはなります。そりゃそうだ。誰でもわかるような例を考えると、「別に自分の業務だったわけじゃないけどなんとかくやってた朝の掃除を止める」とか「良かれと思ってしてた同僚の仕事のサポートを止めて本来の職分どおりにやってもらう」とか「なんとなくやってた共有スペースの設備の整理を止める」とかそういうの。自分自身のやるべき仕事はもちろんしなくてはならないけど、している仕事がすべて自分がすべき仕事かどうかってのは結構微妙だったりします。

わかってんですよ、仕事ってのは自分の職責だけで完結するもんではないってことは。自分の仕事だけしてるんじゃなくて、お互いがお互いに隣の職責に手を伸ばすような働き方をすることで仕事の流れがスムースになって、「最低限これをすればOK」から「こうなるともっと良いよね」になっていくわけです。でもさ、そういうのって余裕が無いと出来ないんですよ。そういうときに、最上のクオリティをハードルとして自分に課すのではなくて、出来る最低限まで自分のハードルを下げること。ベストではないけどこれが出来てればまあ良いでしょ、というレベルまで下げる。そうすることで、余計な責任を下ろすことが出来ます。



なんかね、そういうことをやるようになりました。悪い良い方をすると手を抜く、ないしは「バカの振りをする」。見えてるし出来るんだけど、見えてない振りをする気付いていない振りをする。なんかそういうのって、防衛手段として必要なんじゃないかなあと思います。真面目な日本人はあんまりそう言うのやらないし、僕も出来ないからこそ意識してるんですけどね。いつもこれだと困るけど、なんだろうなあ。「2割のアリは働かない」みたいな話ありますけど、その2割を順番にやって休んでいったら良いんじゃないですかと。

「僕がいなかったら仕事が、会社が、店がダメになるんだ」そう思っていたこともありました。でもいざ自分がダメになったときにつくづく思うのは、そんなことは殆どない。もし本当にそうだったら、それは素晴らしい仕事をしてきたのですねということかも知れないですけど、一般的には、人が1人いなくなったくらいなら割と粛々と物事は進むもんです。代わりが効かないなんてことはほとんどない(1人で商売してたらそれは違うけど)。クオリティは多少変動するかも知れないけれど、それもいずれ安定するレベルの話。大丈夫です。



今夜も深夜雨の予報なんですよね。23時から雨だって。
今日も走れないのかー……まあ仕方ないけどね。何かそれに変わるストレス発散があれば良いんだけど。

それとも雨が降り出す前に走りに行っとく?