バンコクを歩いていると物乞いをしている人にたくさん出会います。道路を渡る歩道橋や大きめのモールにはよくいるし、歩道の屋台が途切れたところにも。貧しかったり、体が不自由だったり、子どもを連れていたり、歳を取っていたり、病気だったり、物乞いになる理由は人それぞれいろいろとあるのだけれど、なんとなくあんまり関わり合いになってはいけない気がしてお金を上げることはもちろん、きちんと見られませんでした。見ない振りして通り過ぎるだけ。
タイの人たちはどうなのかなーと思って見てみると、確かにほとんどの人は素通りしているのですけど、それでも差し出される缶に小銭を入れていく人が日本に比べてとっても多いのですね。物乞いの人の方も極端にお礼を言うでもなくそれぞれが「当然のこと」として淡々と流れていく感じがします。「発展途上国でお金をねだられてもあげてはいけない」とはよく聞いていたので少し驚きました。宗教的な文化背景のせいでしょうか?「持ち合わせがある人は寄付をする」という習慣が強く根付いているのかもしれません。
例えばワット・ポーには、使途ごとにたくさんの募金箱が設置されていました。それぞれの募金箱にこの募金を何に使うかが明記されていて(ただしタイ語だったので詳しくは解りませんでした。写真などで判断)、募金する人がそれぞれの使途に募金するようになっていました。また入り口で無料の水を配布していましたが、それも恐らくChangによる取り組みの1つでしょう。
宗教の影響度合いの強さで言えば、地下鉄にこういう張り紙があることも大分異文化です。
「僧侶に席を譲りましょう」
こうした活動を偽善と言うのは簡単なのですけど、こういう記事を読むとその「偽善」が本当に社会のためになっているのかも知れないという気がしてきます。
身障者の物乞い男性、タイ仏寺に100万バーツ寄付|newsclip.be タイ発ニュース速報サイト|newsclip.be
急性灰白髄炎(ポリオ)で足と言葉が不自由で、物乞いで生計を立てているタイ人男性、イヤムさん(62)が生活と物乞いの場であるタイ中部ナコンパトム県のライキン寺に約100万バーツ(約270万円)を寄付し、話題となっている。イヤムさんは過去30年以上、ライキン寺で物乞いをし、毎年、数千―数万バーツを寺にお布施してきた。しかし今年は14日に99万9999バーツを寄付した上、自腹でタイの人気演歌歌手による無料コンサートを開き、タイの新聞、テレビで大きく報じられた。
次に行くときにはポケットに1バーツとか2バーツとかの小銭を入れておくようにしようと。
確かに子どもを動員して小銭を集め、酒や薬に走ってしまう親というのもあるでしょう。下手にお金を出すと日本人と言うことでマークされることもあるかも。ただねぇ、出勤途中で慌ただしく職場に向かっている中、その辺にものをほいっと置くような、よく見てないと気付かないくらい自然な寄付の仕方がすごく良いなぁと思ったのです。
よくある「子どもに物乞いをさせる」という状況ではなく、日本人だから金持ってるということでもなく、そこに身障者の物乞いの人がいて自分の手元に余しても仕方ない小銭があるから入れておくという程度の。きっとその程度のことで良いんだろうし、それがどうなるかを考える必要も無いし、もしかすると自分が小銭を上げた相手が誰かも見てないかも知れません。それくらいの「無関心」さ。でもそれで何か繋がっていくものはあるんだろうなと。
そんなことを感じました。