何度も色んなところで繰り返し述べられていることなので今さら書くことでもないんですけれど。「Twitter」というのは、個別に用意された「パーティション」の中で起こる「個人的な事件」を、あたかも社会全体で共有されているかのように錯覚させてしまうアプリケーションです。なので、自分のタイムラインに没頭していると、つい、それが酷く大きな事のように思えてしまいます。
例えば今、とある界隈では「pixiv」というお絵かきSNSが大きな問題になっていますけど、正直「pixiv」を熱心に使っている人なんて社会的にはごくわずかな人間でしかありません。だから殆どの人にとってはどうだって良い話題なんですが、自分のタイムラインにそう言う話題しか出てこない人にとっては、それが実際に比べてもの凄く大きく見えてしまうようです。
そういう「錯覚」は結構あらゆる話題において起こりえて、例えば、
- 血液型占いを信じる人が非常に多い
- 韓国人を毛嫌いする人が非常に多い
- 米のとぎ汁乳酸菌は効果有りという人が非常に多い
- AKB48に批判的な人が非常に多い
実際問題として自分のタイムラインが社会を覗く窓になっているなんて事は全くなくて、せいぜい、隣のマンションの部屋が見える程度の話です。
これはもうTwitterの構造上の問題なので、リテラシとか関係なく錯覚は起きるし、ある程度は仕方がない。
かくいう僕も何ヶ月か前までフォローしていた界隈(ビジネス系)があって、そこで提案される考え方とか、立ち上げるサービスとかに注目していて、ああいいなぁ、これはきっと話題になるだろうなぁなんつて思っていました。震災以降、中心的な人が少し慌ててしまったのか意固地に自分の独自性をアピールするようになってしまって少し不快だったので、落ち着くまでとフォローを外して見たらば、そっち系の話題が全く無音になってしまってあれー?とか。
サービスの話もリリース予定からもう半年くらい経つんだけど、ありとあらゆるメディア上で一言も評判を聞かなくて、うーん。錯覚だったか。錯覚だったからといってそれに価値はなかったということではないけど、思っていたより注目されていたわけではなかったと言うね。
まぁだいぶ落ち着いたっぽいのでフォローを再開しようと思ってますし、そうしたらまた話題にもコミットできるんでしょうけど、結局そんなもんだよなぁ。
「ニコニコ動画が社会を変える!」とか言ってる人を醒めた目で見てるのもその辺で、正直別にドラスティックに社会が変わることなんかないし、変わるとしても数年掛けてのことでしょう。そんなに言うほど大きい話じゃない。そういうのを意識した上で煽ってるならまだ良いんですが、それもなく、かといってポジショントークでもなく、自分のパーティションの外に向けて本気でそう言うことを言ってるんだとしたら、まぁなんというかおめでたいというか、暗闇の中ではペンライトが太陽に見える程度の話だなぁと思っています。
広く浅くがいつも素晴らしいとは思わないけど、たまには顔上げてみたら違う景色が見えるよ、というね。
外の世界とコンタクトを取りたいんだとして、選ぶのはTwitterじゃないなぁ。