英語の文章を読んでいると例えばこういう感じの文章に出くわすことがあります。
Never believe a person who says, “I never lie.”日本語に訳すと、
「私はうそをつかない」と言う人を信じるな。となるのですが、見た(もしくは聞いた)感じでは英語の方が強い否定を感じます。
この例文は命令文っぽいので倒置といっていいのかよく解りませんけれど、
先頭に否定の副詞を置くことでまず否定し、理由を述べるという構造がはっきりします。
日本語にはこういう言い回しは多分なくて、否定は必ず語尾で行います。
それはそれで試行経路に素直で構築しやすく便利ではあるのですけど、
責任範囲や自分の意見をはっきりさせておきたいときにはあんまり向いていません。
もちろん話す人の性格も反映しているのでしょうけど。
ただ「あれば便利なのになぁ」と思いつつ「現実的に無い」というのは、
歴史的にそう要望された結果のことなのだろうなぁという気もします。
本当に必要だったら作るだろうし、無くて済む社会だから今もないんだろうなぁ。
どうしてもというなら短い否定文(無理です、など)のあとに理由を述べることで、
目的が果たせないこともないですしね。考えてみれば。