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原発を推進せよ、とは言わない。怖いし。僕だって嫌だ。
でもその前にきちんと考えてくれ。原発を今全部止めて何が起きるのかを。
言うべきことは、「今すぐ原発を止めるべき」なのかどうかを。
理想を掲げるのは良いことだけれど、現実とあまりにかけ離れた理想が、
本当にエネルギーを持ち得るのか、それが社会を変えられるのかについてもっと考えてくれ。
不自由を強制され恐怖を浴びせかけられる日常は随分とストレスフルだろう。
でも、そのストレスに任せて真面目なふりをして声をでかくすれば物事が解決するわけじゃあない。
ストレスに任せて「原発はもう要らない、今すぐ止めろ」ということと、
今後どうしていくかという話が全く結び付かないんだと言うことを解ってくれ。
それで良いんだったらいくらでも何でも言えばいい。解決にはならないがストレス発散にはなるだろう。
それはそれで大事なことだ。
でもそこまでやる気があるのなら、その一歩先のことも考えよう。
原発を全て止めるためにすべきことは何なのか?デモを繰り返せば止めてもらえるのか?
上に掲げた写真を見たとき、僕は大笑いしてそして非常にがっかりした。
デモをするという行動力は本当に尊敬しているけれども、考えていることはこの程度なのだと。
「日常を返せ」?
あなたが落とした日常はどの日常ですか?金の日常ですか、銀の日常ですか。
普通の日常はもうないんだ。これからも戻っては来ないよ。
君の普通の日常は、原発によって支えられていたんだ。
それを放棄してでも原発を即時停止せよ、というなら理解できるさ。
もう一度、戦後からやり直そうぜ、という意見ならわかるよ。賛同もするかも知れない。
パソコンでこれ書いててそんなこと言うのはどうかと思うけど、でもそうだ。
そんな中で元に戻せと言うことが、行動と根本的に矛盾していることに気付いてくれ。
そんな日常はもう戻ってこないんだ。
今から新しい日常をもう一度作ろうとしている中へ、この行動を起こした人間は入っていくべきだろ。
そこでは、原発を使用せずに人々が落ち着いて暮らせる「日常」を提示する必要があるはずだ。
東電にはそれは提示できないし、政府にも出来そうにない。
会見は常に検討の開始の報告ばかりで、検討の結果が出てくるのは何ヶ月も後だ。
だったら僕たちが自分でやるしかないよ。
電気の生産を東電に任せっきりにしていたのを止めさせる。
電気の自給自足と東電の電力のボイコット。
そんなことを考えるべきなんじゃないのか。
必要なのは革命ではなくて変革だ。
今ある日常を完全に崩すことなんて、出来やしない以上、
今ある日常に足を付けて立ち、次の日常を模索するしかない。
自粛と制限と余震の中でいつもと同じ生活を試みるのはストレスフルだろう。ストレスの発散は重要だ。
でも、ストレスの発散と未来について考えることを混同するのは止めよう。
未来についてきちんと考えられなくなるし、ストレスが発散された時点で何も起きなくなる。
その前に、もしくはその後でも良いから、未来についてほんのちょっとでも考えてくれ。
デモが終わったら、自分が「本当に」出来ることは何なのかを、もう一度考えてくれ。