「追い込まない」

「追い込まない」という概念って結構大事だよなーとジョギングしながら思ってたりするのです。安易に書くと誤読を招くのでなかなか難しいのですけど。趣味でジョギングをしているときにそれを台無しにしてしまうのは、目標を意識しすぎたり必死になりすぎたりしてそれが楽しくなくなってしまうことだと思うのですよ。僕の断絶のうちの何回かにはそれがありました。頑張り過ぎちゃってそれ自体が嫌になっちゃうの。

誤読回避のために書いておくと、頑張ることや努力すること、生活の全てを注ぎ込むことなどを否定しているわけではないんです。そうではなくて、頑張るにしても努力するにしても嫌々やるのではなく自らの意思でそれを行うという前提があって、その上で積み上げていくというのが大事だよなと思う話。



なんでしょう。日本人は真面目な人が多くて、追い込むという行為が好きなのかなと思うのですけど、ジョギングにしろ、禁煙にしろ、仕事にしろ、日々の生活にしろ、退路を断って目標達成だけを唯一の成功として設定し、それ以外は全て失敗だと言うようなとらえ方をすることが多い気がします。

ジョギングだったら、
  • 必ず毎日走る
  • 1日何km、1ヶ月何kmを「ノルマ」とする
  • 目標ペースは何分/km
  • 3ヶ月後のフルマラソンでサブフォー
禁煙だったら、
  • 1日3箱吸ってきたけど明日から止める
  • ひたすらガマン
仕事だったら、
  • 疲れてもドリンク剤をひたすら投入して毎日頑張る
  • 有休なんてあっても取れないから無いものとする
とか。


いや、内容自体はそれぞれ良いと思うのですよ。目標はあった方が良いし、それを達成するために計画を立て向かっていくというのは必要なことなのでね。でも、その計画自体が守られるべきことか?というと別にそういうわけではないですよね。ジョギングを継続するために何か目標を持つというのはいいことですけど、そもそもジョギングをすることの目的がストレス発散や健康増進だったら、自分の実力を超えた過度の運動や、目標への過剰な努力はそもそもの目的を損なっているわけです。禁煙にしても最終的な目的は「タバコを止めること」であって、我慢大会じゃないんです。素直に禁煙外来に通って、段階を踏んで禁煙を実行していけばいいでしょう。


努力することは絶対に必要だけど、「追い込む」という概念にはその努力そのものを目的化してその達成を喜ぶ要素が含まれてるような。疲れすぎて走るのが嫌いになってしまったり、禁煙のイライラでコミュニケーションに支障を来したり、仕事のストレスで体をこわしたりしたら元も子もないわけです。一昔前に流行ったような「何でも楽しくやれればそれでOK」なんていう「メンタルの話=根性論=してはいけない」という短絡的な発想には同意しないんですが、やっぱり「好き」に代表されるような前向きなメンタリティは大事だし、放っておくと勝手に自分で追い込んでしまうので。

敢えての「追い込まない」。