Twitterと洗脳

思いつきですけれど。


数年前にオウム真理教の問題が起きたとき、「道場」で信者を洗脳する部屋を紹介しているのをテレビで見た記憶かあります。入ったばかりの信者が上級の信者によって1人ずつ狭い部屋に隔離され、1日中その中に閉じこめられます。部屋にあるのは布団とテレビのみ、テレビでは教祖による教義のビデオが延々流され、情報を一切遮断された信者は徐々にその教義に染まっていく…大体そんな感じだったと思います。その部屋で過ごしているうちに、その部屋の外に溢れるほどの情報があると言うことを忘れてしまい、今自分の目の前にある小さなモニター、そこから流れ出る教義が世界の全てだと思いこみ受け入れてしまう、そんな構造なんでしょう。


Twitterについて何人かの知人、友人があれこれ言っているのを読んで、そんなことを思いました。



「Twitterを使って社会の情報を素早く取得する」と言う言葉で誤解しがちのことですが、Twitterの自分のTLを通して見えるのは決して「社会」ではないわけです。なぜなら、そのTLに流れているつぶやきは自分が恣意的に選んで購読した人のつぶやきであり、自分が読みたいと思うものを読んでいるだけのことです。それはきっと2万人フォローしようが10万人フォローしようが同じこと。だってそんなに読めないんだから、必然、読みたい人だけを選ぶでしょう?読めたって200人とかそこらです。

確かにそこから社会のトレンドが見えることはあるでしょう。自分以外の人たちが心動かされていることを集約すれば、多くの人たちが心動かされていること(=トレンド)が解るというのはあるでしょうが、ただしかし、そのことと今目の前にある何かがトレンドであるかどうかは別に関係がありません。先ほどの宗教の話を比喩として使うなら、自分のTLが全て同じ教義で埋まっている場合、それが社会のトレンドなのか、それとも自分がTLに流している人がその宗教の人ばかりなのかは、よく考えないと区別が付かないことでしょう。「俺の友達はみんなあいつが悪いって言ってるよ」って聞いても「何言ってんだよ」と言えるのに、「(俺のTLの上では)みんな大体そういう意見みたいだね」という意見があたかも正しいかのように語られるのは、なんというか、洗脳だよねと。



TLというのは、個々人が隔離されている小さな部屋なわけです。そこに没入すればするほど、そこから得られる情報に極端に強く影響を受けるようになる。これは別にTwitterに限ったことではないですけども、どうもTwitterではそういうことに気付ききれないひとを多く見かけるような。非常に危ういですよね。あ、いやむしろそういうことにまだ気付いていないような人にまでTwitterが広がったということなのかな。だとしたら凄い。

凄いけれどもやっぱり危うい。

別に冷める必要はないですけど、そういうこともあるかなと言うのは、どこか頭の片隅に置いておいた方がよいと思います。そういうことを言ってもピンと来ない人がたくさんいるところが、本当に洗脳っぽいところなんですけれども。