名古屋で浪人していたとき、よく脱走していた話。





18歳の夏、僕は名古屋で浪人していた。

もう15年も前のことになるのかー。

懐かしすぎて涙出てくるけど、高校3年生の時に「本命の大学しか受験しない」という若い情熱的な受験をして見事に失敗し、その後の1年間名古屋で浪人していました。通っていたのは河合塾の名駅校、寮は亀島の啓発寮。4畳半くらいの個室。静岡だと東京に行く友達が多かったんだけど東京ではなくて名古屋だったのは、なんとなくそっちのが志望大学に近いからというのと、周りの友達にも名古屋に行くやつが多かったからなのと、河合塾の本拠地が名古屋だったから。いろいろ模試を受けた結果、当時は河合塾が一番信用できたんで、浪人するなら河合塾に行きたかったんですね。

それで親にお金を出してもらって名古屋で浪人ということになったわけですけど、正直に言うと真面目に勉強していたとは言い難かったです。僕の成績は高校3年の初めまでは中の上くらいで高校3年の秋以降急激に伸びたので、浪人生活に入った時点でもう十分に実力が付いていました。確立させた勉強方法を維持しつつ足りないところをチェックして講義で補えば、十分維持できました。塾は出席も取らないし、テキストは上手くできてる(問題解けるんだったら解説の講義を聴かなくても十分身になる)し、授業に出るより京大の変態的な過去問やってる方がよっぽど楽しかったし、個人的に昔から「自習室」というヤツが大嫌いだった(図書館で勉強するヤツも理解できなかった。家帰れよ)ので、夏以降は昼ご飯を食べに行くくらいであんまり塾に行ってなかったような。1日の大半は本屋をめぐって過ごして(でも買う金はない)、土日は金山のWINS名古屋とか中京競馬場とかにいました。ダメなヤツだなぁ。この浪人生活がその後の人生を大きく決定づけたと言っても過言ではないです(志望校には受かったけど、人間性的な意味で)。



寮から脱出せよ。

まぁそんなわけで寮生活を日々送っていたわけですけど、寮生活をしていてみんなが考えることと言えば…どうやって脱出するか。

監視されてるわけではないし、外に出たところでやることがあるわけでもないわけで(当たり前だけど彼女もいない)、別に脱出する必要なんかないわけだけど、門限があって20時以降は外に出てはいけない、22時以降は部屋から出てはいけない、とか言われると逆になんとかならんかとか思ってしまうわけです。これはもう僕に限った話ではなくて、多くの人に共通した衝動じゃなかろうか。

脱出方法は寮によって色々パターンがあって、同じ名駅の修文寮の場合は屋上から壁を伝って非常階段に行ってそこから降りるとか聞いたような気がする。普通の窓ははめ殺しか鉄柵、壁には鉄条網だっけ(当時)。啓発寮の場合は修文寮ほど厳しくはなかったけどやはり脱出方法は限られていて、一番メジャーだったのは「非常窓」のある部屋から出て排水管を伝って下に降りる方法。特に僕らの場合、その部屋に入ってたヤツが非常に融通の利くやつだったので、随分便利に利用されていました。

ただ例えば深夜にふらっと外に出たいと思ったときにそいつをたたき起こすのも悪いし、なにか他に自分だけで出来る方法はないかなぁ…と考えていたのですが、ある日階段に取り付けられていた窓(24時間施錠されている)を見て思いつきました。


ああ、この鍵を開ければ良いんだ。



技術部的な。

「鍵を開ける」というとピッキングみたいな特殊技能な感じですけど、実際にはそれほど特殊な道具や技術は必要ありませんでした。なぜかというとその鍵、おもちゃみたいな鍵だったんですね。シリンダーが多分1個か2個しか無くて、非常に単純な鍵で簡単に開く。どうせ盗むものもないし「開かないんだよ」と示せれば良しという所でしょうか。こけおどしですね。

一番最初に作った合鍵は割り箸を削ったもの。割り箸1本の先端部3センチくらいを薄く削った上で、こんな形に加工。


それを鍵の差し込み口に入れて折らないように回せば、鍵はすんなり開きました。なんだこれ。


想定外の成功に高揚しつつこれって犯罪になるのかなとぼんやり考えましたが(不正侵入でも器物損壊でもないから大丈夫だと思うけど)、仮に犯罪ではないとしても「ルールを破ることに繋がる」ことには違いがない。僕が試していたのは自分の部屋(304号)の正面にあった3階の窓でしたが、階段を下りていった1階の部分にも同タイプの窓が付いていました。3階の窓が開くと言うことは1階の窓も開く可能性が高い、1階の窓が開くならそこから寮の外に脱出できる。まさに最重要アイテム。

ただ割り箸鍵には「折れやすい」そして「加工しづらい」という欠点がありました。万が一出入り口の鍵穴で折れて詰まってしまったら、以降その出入り口は使用不可能になってしまいます。それは避けたい。というわけで出来たのが改良版の鍵でした。でした、っていうか、割り箸鍵で学習した形状をもとにクリップで鍵を作ってみたらそれでも開いちゃったというただそれだけのこと何ですけれども。これの良いところは、「壊れにくい」「加工しやすい」そして「持っていても怪しまれない」。ただのクリップですからね。どこからどう見ても。削った割り箸は怪しさ満点だとしても、クリップなんてありふれてるしね。



テスト駆動。

クリップによる試作品第1号が完成。

需要は絶対にあるし誰かに自慢したいのは山々でしたが、実際に試して開かなくて恥をかくのもなんなので、やはり自分で試す必要があります。寮には寮長が夫婦で住み込んでいて、寝るのもそれほど早くない。階段1階の窓は、寮長室のすぐ向かいにあるし、タイミングによってはすぐに見つかってしまう場所にありました。なかなか手に汗握る瞬間です。たた寮長夫婦が詰めていたのは1週間のうち5日くらいで、残りの2日は代わりのおっちゃんが来てました。この人はだいぶ緩い人で寝るのも大層早い。もしかしたらいないんじゃないかっていうくらい。狙うならそのタイミングしかない。

寮全体が寝静まった4時頃、一人で部屋を抜け出し、階段をそっと下り、1階の階段で耳を澄ませて鍵を開けて音もなく窓を開け。そっと外に出て窓を閉める。隣の家との境、はば50センチほどのスキマを歩いていくとフェンスに行き当たり、それを乗り越えれば…おお、表の通りでした。


深夜の住宅街でガッツポーズする若者1人。完全に変人です。
でもあのときはそれが全てだったんですよね…


その日は、そのまま朝までコンビニで時間を潰して、朝になって寮の玄関が開いてからこっそり帰りました。



脱出ライフ、そしてその終わり。

そんなわけで完成したクリップ製の合鍵。

寮全体の窓が全部その鍵で開いたので、深夜に屋上に出て遊んだり、小腹が空いたらコンビニに買いに出たり、雪が降ったらみんなではしゃいでみたり、つつましく楽しんでいたのですが、浪人生活も終わりに近づいたある日、僕の鍵を持って外に出ようとしたある友人がタイミング悪く寮長に見つかってしまいました(もしかしたらバレてたのかも?)。幸い鍵のことは黙っていてくれたようですが、以来監視が厳しくなって外には出れなくなってしまいました。まぁしかたないね。「悪いこと」をしてたのは僕らだしね。


受験が終わって京都に引っ越すことになり、迎えた退寮の日、1階の階段の外側には面格子がはまっていました。それでも突破する方法は無くないと思うけど、1年という限られた期間でそこまで思いつくのは…きっと難しいだろうな。僕らと代替わりで入寮してくる後輩、ごめん。問題がちょっと難しくなっちまった。

そんなことを思いながら、迎えに来た親の車に乗ったのでした。終わり。




終わりに。

なんか犯罪自慢みたいで格好悪いんですけど、そんなつもりはなくて…要するに個人的感傷、です。あ、やっぱり格好悪いか。すまん。

僕が18歳の時というとつまりは1995年の話ですね。多分あの寮長もとっくに引退してるだろうし(すごく良い人たちでした)、寮の施設も変わってるだろうし、とか思ってたら2chにスレあってふいたww

【河合】名古屋啓発寮【かわいい】

そうかー最近はオタ多いのか。


まぁぶっちゃけ、勉強するヤツもいればしないヤツもいるし、しても成績上がらないヤツもいればしてるように見えないのに成績良いヤツもいるわけで、あんまり他人を気にしても仕方ないぜ、とだけ言っておく。合鍵作って外に出てたような不良でも、きちんと受かってるしね。アニメイトでもメロンブックスでも行って息抜きしながら、頑張ってくださいな。