なんだかんだでほぼ毎日ブログを更新してるんですけど、その「更新してる」ことを凄いって言われるのはいつ聞いても違和感があります。だってさー更新するのを目的に据えるんだったら誰でも出来ることなんですよ。実際。Yahoo!Japanとかニュースサイト見て、一番上にある記事を題材にするとかね。
例えば今だったら、
という感じなので、「俊輔代表引退」に「能力はともかく戦術がなぁ」とか、「車輪出し忘れ」に「ねーよww」とか、「ドコモでiPhone」に「個人輸入ってどうやるんだろ」とか、その辺の感想をふくらませていけば書きようはいくらでもあるわけで、更新することは楽勝で出来ます。テキスト書くだけなら10分くらいじゃない?
…まぁでも当たり前ですけど、仕事として収入賭けてニュースサイトやってるとか言うならともかくとして、個人のブログでそこまでの「更新体制」を敷く必要は全くないわけで。自分が心惹かれたわけでもない題材でなんか書くのはあんまり楽しくないです。
人によるんでしょうけれども、僕にとって大事なのは「「インプット」と「アウトプット」の間にあるもの」なんですよね。
インプット(例えば読書)は確かにそれ自体が快楽なんでしょうけれど、どうも僕はそういうのを楽しむようには出来ていないみたい。それをずっと続けているとなんか飽きてくるんですよね。お腹いっぱい、もういいや的な。大した読書量でもないんですけどね。
「インプット」と「アウトプット」というのは非常に微妙なバランスの上に成り立っているものでありまして、普通の人は「食べて出す」そのバランスで生きているわけですけど、知識も肥満になったり飢餓になったりするんじゃないだろうかと。肥満になると動きが悪くなるし、飢餓になるとそれはそれで動けなくなってしまいます。「インプット」や「アウトプット」はあくまで手段であって、状態を健全に維持するための手続きで、どちらかだけがメインになったりまして目的化するものではないんじゃないのかなと思うのです。
このエントリのタイトルを思いついたのは、ずっと前に「アウトプットとは何か?」という議論を目にすることがあり、その中で「ブクマコメントやTumblrはアウトプットではない」という趣旨の発言があったのがきっかけでした。どちらも色んな使い方をしている人がいるので一概にどうこうは言えませんが(最近ではTumblrをブログとして使う人も増えてきました)、例えばwebサイトからのテキスト切り抜きをたくさん集める人みたいなのは確かにアウトプットではないかも知れません。だって別に、その文章について何か考えてると言うことはないですからね。実際問題。印象だけで右から左に受け流しているだけです。そういう意味ではインプットですらないかも知れませんね。
食べたら出すし、出したら食べる。
Tumblrの画像に関しては、印象だけでリブログしているのであんまり大きなこと言えたもんでもないですが、「「インプット」と「アウトプット」の間にあるもの」のことを考えずに、情報を主体にして行動を考えるのはやっぱり不健康かなぁと思います。情報はないよりかあった方が偉くなる可能性は高いかも知れないけど、別に情報をたくさん持ってることが偉いわけじゃないんでね…。それきっと筋肉じゃなくて、ただの中性脂肪です。