お金を支払うことは大事。

小丸屋 住井

仕事柄、友人・知人の関係するwebサイトのデザインや運営を任されることがたまにあります。そういうときは大体はお金のやり取りは発生しない(必要経費の立て替えはともかく)ことが多いのだけど、本当のことを言えば、お金のやり取りがある方が気が楽です。それはプライドだとか、労力に対する見返りが欲しいとか言うことでは無しに、無償での仕事ってのはどうしてもどこかに「やってもやらなくても良いんだ」感がつきまとうからです。



7年ぐらい前の話ですが、知人のイベントのwebサイト全般を請け負ったことがありました。お金のやり取りは発生せず、スタッフとして無償でという感じだったのですが、僕自身はそのイベントのあれこれにまったく関わっていなかったため、実質外注みたいなもんでした。

最初はあれこれアイディアを出したりしていたのですが、コミュニケーションがなかなか上手く取れなかったことと、主要メンバーの1人と気が合わなかったこと、要求が頻繁に変わることなどの理由で嫌気がさし、途中で投げ出してしまいました。もうやってられん、と。あれは自分としても非常に後味の悪い経験でした。

無償だろうが有償だろうが請け負ったものは最後までやり通すのが筋だとは思います。しかし個人的にもの凄く思い入れがあるならともかく、頼まれただけの仕事で思い入れもなければ無償のまま続くわけもなく、そんな中で延々と個人の時間を削られ続けるのはどだい無理だったんだろうと。「最後までやり通す」のがプロなのではなくて、やっぱり始める時点で僕が少しいい顔し過ぎた、それをせずに、「やり通せるように受ける」のがプロなんだろうなと今は思います。

お金をもらってやっている仕事であれば、お互いに利益を得ているわけですから、嫌気がさそうが何だろうが最後までやり遂げるべきだし、辞めるなら辞める線をはっきりさせてここまでは仕事したからこの分は貰います、と言う取り決めがあるもんだと思うのです(もしくは逆に僕が払って辞めるとかね)。でも当時は僕もまだ子供だったし、僕に依頼してきた人間も随分と世間を知らないガキでしたから、その辺のことはまったく考えていなかった。


社会になじんで思うことは、ちゃんとした大人はただで仕事をさせるよりも納得できる対価を支払うことを好む、ということです。支払う方は、支払うかどうかよりもものがきちんとできるかどうかが最後には大事ですし、そのために必要であると納得できれば支払う。その代わり支払った以上、ものに対して十分な要求することができます。仕事を請け負う方も、納得した額を受け取る以上、それに見合うだけの仕事を行う義務があるし、そこに「モチベーション」なんてものが介入する余地はないわけです。プロの仕事に「モチベーション」という概念なんか無いですよ。やるべきことをやるだけです。


結果、依頼者はものを得て、作り手は金銭を得て、誰も損をしない。



あんまり金、金言うなという話ではあるんですが、作り手の自由に作って嫌なら辞めても良いというのなら無償で良いんです。もしくは作ること自体がお互いにとってメリットになるとかね。それはそれで成果としてはメリットがあることだと思います。

でも作り手以外にプレイヤーが存在する時には、それがどんなに近い関係であったとしても何らかの対価がないとやっぱりダメだろうなと。例えばTwitterがユーザーから金を取らないのは「いついかなる時も正常に動作すること」を保証しないからで、対価を受け取る広告会社や検索サイトに対しては広告の表示やデータの提供を保証するからですよね。言い訳をして良いときとしてはいけないときがあるわけです。

過去、お酒をおごるとか、入場料をただにするとか、そういう条件で仕事をしたこともありますが…やっぱり最後にはダメになります。やった分だけ対価を渡すシステムは、やる方は楽ですけどなあなあになりがちですし、依頼者の方は常に放り出されるリスクがあります。真面目にやるなら払った方が良い。その方が結果的に「安い」です。



僕が特別にだらしがない(なかった)と言う可能性もありますが、作り手としても、やっぱり対価をきちんと貰って、その上でそれに見合う成果物を制作していくと言うスタイルの方が、すごく安心できるんですよね。壊したくない関係だからこそ、その辺きちんとしておくというのは考え方としては「あり」だと僕は思います。

なかなか難しいですけどね。