誰かとパートナーを組んで何かをしているとき、お互いの頑張りがお互いに影響を与えることがよくあります。パートナーを組むと、1人じゃ全然無理なことでも分担し効率的に行うことが出来たり、感性の重なる部分はより強く重ならない部分はお互いを補完する形で効率的に働いたりします。それらと同じように、片方が頑張ってやっていればもう片方もそれに釣られるようにしてモチベーションを得て、結果1人よりも2人の方がモチベーションが高いなんてこともよく起きます。それは例えば1人が突き進んでもう片方がサポートする…なんていう形で表出したりしますし、交互に頑張ることでチームとしては常に前進し続けると言う形で表出することもあります。基本的には、素晴らしいこと。
だけど、ものごとには理由なんか無しに「上手く行くとき」と「上手く行かないとき」があって。
上手く行っているときはそうした「頑張りの連鎖」は、素晴らしい結果を得るために必要なことなのだけど、上手く行っていないときにはその連鎖がお互いのエネルギーを削り合ってしまうこともあります。円環のはずだった「頑張りの連鎖」が下方向の「頑張りの螺旋」になってしまう。片方が頑張っていて、もう片方は正直疲れてしんどくなっているのに相方が頑張ってるからと無理をする、それを見た相方も頑張って無理をする、結局弱い方が先に倒れて強い方も相当に疲弊してしまう、しかも結果は最悪…というような。「頑張ることが良いこと」で「頑張らないことは悪いことだ」というのは、なんとなく「絶対に正しいこと」のように思われている気がするんですが、いついかなる状況でもそうかって言われると…そうじゃないですよね。自分を休ませるために相手が頑張っているとき、それが相手に悪いからといって自分も頑張ってしまったら、相手の自分に対する気持ちを無にしてしまうわけで。なにも相手の頑張りに対して同時に頑張る必要はなくて、上手く行ってないのであればそこで一旦「螺旋」の流れを切って、調子を整えてからもう一度再スタートを切れば良いんです。どうせ、向こうだってそのうち疲れてへばるんだし、そしたら我慢していた分だけ前に出て行けば良いんだし。
その時々に合わせた最適な頑張り方ってのはあって、無理することは別に頑張ってるんでも何でもないと思うのです。結局、上手く行っているときには、その頑張り方が多少無茶でも流れ次第で結果が出ちゃうってだけで、必ずしもそのやり方を肯定できるとは限らないというか。「実績」という言葉で表されるとおり、結果さえ出ちゃえばやり方の良し悪しは精査されないことが多いけど、上手く行っていないときにも通用して初めてそのやり方が肯定できるのかも。「頑張りの連鎖」も「頑張りの螺旋」もそんなところできちんと評価してやりながら、パートナーとのちょうど良いバランスを見つけ出すのが大事なんだろうなと思います。
そういえば、来月6周年になる自分のイベント「SWITCH-OVER」ではバランスは掴みつつあるかなと思うけれど、その前にやっていたイベント「TooEarly」は典型的な頑張りの空回りで結局メンバー間に生じた溝が原因で空中分解してしまいました。文字通り、若すぎたのかも知れません。そんなもんですよね。