あまりにショックで、まだ、自分の中で消化しきれてもいなくて、
こういうところで、なにか書くような気にはなれなかったのですが、
なにもなかったかのように、楽しいことを書いたりするのは、やっぱり無理なので、
少し、書きます。
なんとなく、この流れで僕なんかが何かを書くのは間違っているような気がして、それで何もコメントを残さないでこのまま行こうと思っていたんだけど、あーやっぱ無理です。仕事中(昼休み)なのに、「雨上がりの夜空」聞いてたら涙出てきた。ちょっとトイレ行って顔洗ってくる。
顔洗ってきた。
そんなに熱心なファンではなかったから、僕が知ってるのは「雨上がりの夜空」をはじめとしたいくつかのヒット曲といくつかの曲だけなんだけど、なんかね、イベントで「雨上がりの夜空」を初めて聞いたときの衝撃は覚えてる気がする。全然接点がないはずの場所で、それを不意に耳にした瞬間の感動って言ったら無かった。なんだかよくわかんないけど。
「社会にものを言う」っていう音楽のスタイルは、フォークの時代にはもの凄くたくさんあって、両親が好きだったから僕はそう言う歌もたくさん聴いて育ったんだけど、流行が終わったら殆ど残らなかった。残った人も殆どは活動家とかアングラな存在とかそんなのにしかなれなくて、その後の世代の音楽には音楽性は残ったかもしれないけどメッセージ性は残っていない気がする。仮にあっても、僕らの生きている場所とは遠いものを眺めてるだけって気がする。
なんかねー一昨日くらいから、画像を集めたり動画を集めたりずっとしてるんだけど、なんか違うんだよね。「自由にものを言う」とかさ、「過激な行動をする」とかさ、そういうことだけじゃこうはならなくて、そういうのはプロ市民でも軽薄な小説家でもやってる、そうじゃなくてさ、僕らがいるここに繋がってると思うんだよね。そんなつもりじゃないんだろうけど。だから、想いが届くんだと思うんだ。
僕には彼の全てがわかったわけではないし、僕にこんなことを言う資格があるかどうかはよくわからないけど、でもやっぱり心のどこかの部分を救われていた時ってのはあったと思うんだよね。僕と繋がったどこかで、清志郎が歌っててくれるっていう安心感。まだ歌っててくれてる気がする。たぶん。お疲れさま、ってまだ疲れてないかもよ。清志郎のことだし。
本当に、ありがとう。