【読書感想文】 西江肇司 / 何故あの会社はTV型サイトにするのか?

何故あの会社はTV型サイトにするのか?何故あの会社はTV型サイトにするのか?
西江 肇司
アメーバブックス新社 2008-10
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といって上司に薦められた本。

基本的には、動画を使った企業PRノウハウを紹介する本で、
確かにところどころ見るべき点はあるのだけど、根本的な話として、
この本自体が筆者がCEOを務める会社のPRになっているので、あまり読後感が良くない。
24時間会社のことを考えていればどうしてもそうなってしまうのかもしれないけれども、
もう少し、動画を使ったサイトについて掘り下げて見ても良かった気がする。
会社のPR部分は焼き魚の小骨のようで、申し訳ないけれども若干鬱陶しかった。



本の趣旨、企業PRを始めとした様々なサイトで動画はもっと使われるべきであり、
今まで言われていたような動画を利用するリスク(制作コストやインフラなど)は、
現代では既に解消されつつある…そのことについては確かにその通りかもしれないと思った。
Web制作会社が、動画制作を始めるのにはやはりコストが高いけれども(機材も人材も)、
サイトを作りたいと考える企業側の選択としては、
そうしたコストは今や気にする必要はないかもしれない。

それらの点については、少し納得できたし、
筆者の主張を検討、実行してみたいとも思った。
やろうと思えば編集だって出来てしまう時代なんだもんね。



ただ、気になる点もいくつか。



1. 動画によるPRのメリットは書かれていてもデメリットは書かれていない


まず1つ目、動画によるPRのデメリット。

たとえば、どの部分に自分が知りたい情報があるのか解らない。
「テキスト主体のサイトでは、訪問者の理解が難しく諦めてしまう」と書かれているけれども、
少なくともテキスト主体のサイトは検索が可能だ。

しかし動画はなかなかそうはいかない。
仮に15分の美麗な商品紹介動画があったとして、
自分の知りたい情報(たとえば「手入れは簡単なのか?」)が、
どの時間帯を見ればわかるのかは、動画を15分ないしは一定の時間まで見ないとわからない。

よく言われることだけれども、読むのに5分かかるテキストを2分で読むことは出来ても、
5分の動画を2分で見ることは出来ない。
動画を見るためには、その動画が定めた時間を消費する必要があり、
そこで滞在時間が長くなることと、ユーザーの満足度とは必ずしも一致しない。
その点では、本書内で批判されていたFLASHによるローディングムービーと何ら変わりがない。

PRの分野にも依るけれども、テキストの方が有効な状況は多くあり、
またテキストの添え物として動画を扱うのが有効な状況も多くある。
同じ動画による配信でも、商品の取扱説明と動画が一緒になっていれば、
「情報がどこにあるか解らない」という問題は解消できる。

確かに動画による説明は非常にわかりやすいけれどもそれは場面場面に合わせるべきで、
決して「動画はテキストの添え物」という固定観念だけではない、
ユーザビリティからの要求もある。
(もしDVDの目次のようなインターフェイスが実現できるなら、回避できる。
ただそれは、動画にテキストを取り込む、ということである)



2. 動画を配信するためのインフラコストは書かれていない


2つ目。

動画配信によるインフラコストについて書かれていない。

クライアントの企業規模が違うのかもしれないけれども、
ある程度の数の動画をアーカイブもしつつ配信するためには、サーバや帯域の確保など、
ある程度の額のコストがかかる。
企業がYouTubeにチャンネルを持つのは、そのコストをYouTubeが負担してくれるからでもあり、
それより自前で動画サイトを持つべき、という主張にはメリットが薄い。

事実として、主体をYouTubeに置き、
そのプレイヤーを利用してサービスを成り立たせることも可能なのだから、
ただ動画を配信するだけなら、サーバまで持つ必要は特にない。

前半部分ではYouTubeを評価してそのような論調もあったはずなのだけれども、
後半、自らの内部に持つべきと書かれていて少し驚いた。
そのメリットをもう少し書いておかないと、バランスが取れない。



3. 動画を忌避することは確かに時代遅れだが、ウェブ「TV」というネーミングはどうなのか?


3つ目。

ネーミングセンスのあるなしではなくて。
結局は、TVという古い概念を利用しないと理解してもらえないものなんだな、という感想。

また、「TVの民主化」と言うイメージは確かに現実にしっくり来るけれども、
滞在時間の長い動画サイトと、“乱立するテレビ局”の間に矛盾はないか?
時間を消費する動画サイトが、我も我もと作られた結果、
消費される時間が偏るであろうことは容易に想像がつくのだけど、
(既存のテレビ局のバランスを考えればわかるけれども)
それでもなおその数を増やす方向を志向するのには、どんな希望があってのことなのだろうか。
それともそんなに収益率が高いのだろうか。

ニュースや情報を売るようなサイトであればともかく、
企業サイトがテレビ局を目指すべきか、はなはだ疑問。
「テレビ局」が乱立した場合、その維持へのランニングコストは割高になる可能性が高いし、
「テレビ局」そのものより、マッシュアップサイトが重宝がられることも容易に想像がつく。
(テキストベースでは既に価格.comがやっている)



4. 動画の種類の数だけあるものを、通常「チャンネル」とは呼ばない。


最後に、4つめ。

文中、チャンネルの数が自由に増やせる、多くできるというような趣旨の記述が目立つけれども、
テレビを基礎概念としたとき、通常、テーマごとに細かく分けられたそれをチャンネルとは呼ばない。
それは番組であり、シリーズであり、帯である。
もしそういう視点でチャンネルを語るのであれば、既存のテレビ局には無数のチャンネルが存在する。
(オンデマンドで見れないから不便だけどね)

結局は、ここで述べられているチャンネルとは、
テキストベースのサイトで言えば「IR情報」などと名付けられたページ群のことであって、
単なる分類方法でしか無く、それはCSのチャンネルと比べると名前負けしている。

僕個人の感覚で言えば、1つのサイトに来ているのに、異なる趣旨の動画を見るために
わざわざチャンネルを探すことが鬱陶しい。
1対1のカテゴライズでは対応できなくなったWeb情報の整理の手段として、
例えばフォークソノミーという手法が考えられているわけだけれども、
その上でチャンネルを切り分ける必要があるのかとも…

この業界で好んで使われているように見受けられる「チャンネル」という用語は、
ユーザビリティとしてはバズワードではないか、と感じる。




総合的に見ると、筆者のWeb観は大層面白い。
ただ残念ながらそれがWebの主流になるのはそう近い将来ではないと思う。

なぜって…想像してみればわかる。
どこもかしこも、ニュースも通販も、全部動画で情報が送られるようになってごらんよ。
今はまだ、そんな世界、鬱陶しくて仕方がない。

ニュース映像や番組配信などを中心に、今後動画配信はずっと増えていくだろうけれども、
それが既存のものを置き換えて行くには、まだ準備が出来ていないのではないだろうか。
もし、真の意味で見たい情報を動画ですんなり受け取れるようになったとき、
(例えばある番組のある俳優の出演時間帯を検索できるようになったとき)
既存の情報は置き換わっていくことだろうと思う。