「少なくとも、応援は世界に追いついた」との声に、僕はいささか抵抗を覚える。ACL(アジアチャンピオンズリーグ)を制し、クラブワールドカップに出場した浦和レッズのサポーターを、日本の各メディアはそう讃えたのだが、あのような応援スタイルが、世界のスタンダードではないことは、知っておいたほうがいい。
簡単に書くと欧州サッカーないしはMLBを好きな人がよく書くこと。
つまり、
- 日本の応援は歌ってばかりでプレーを観ていない。
- 応援と観戦は違う。
別に杉山茂樹を擁護するわけではないけれども、
僕は、Jリーグのサッカー観戦スタイルよりも欧州の、
日本のプロ野球の観戦スタイルよりもMLBの方が好きだ。
(と言ってもTVでしか観たこと無いけど)
必ず脊髄反射で不快感を表明する人はいるけれども、
でも実際問題、観てないよね。
応援してる人たちの愛は疑わないしそれには尊敬すら覚えるけれども、
でも息が詰まるような注目…ではないよね。スタイルとしては。
僕は評論家でもないし、下手に優劣に言及して炎上したくもないので、
そのスタイルの良し悪しはそれぞれ個々の判断で、と言っとく。
僕の好みの問題。
ただまぁ、欧州がどうかとか別に考えないままに、
追いついたってのは何か自己矛盾だろうな、とも思う。
欧州と全く違うスタイルで突き進んでいて、それがサポーターの愛の形なわけなので、
『追いついた』と褒めそやすメディアに対しては、
サポーターこそが懐疑的にならないといけないだろうね。
応援は表現、つまり言語みたいなものだから、共有できること、届くことが大事。
浦和のサポーターがそれを続けることで、ピッチ上の敵味方にそれが伝わるようになるなら、
それはきっと独特の雰囲気を醸し出すようになれるんじゃないかなと。
もし、欧州に認めて貰いたいと思うんであれば、杉山茂樹が書いているような、
つまり“同じ言語での表現”を行わないといけないと思うし、
うーん、でもだからといって、それありきで応援スタイルをどうこうするのも何か違うけどね。
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一応、エントリは上で終わりなんだけど、1つ疑問に思うことは…
僕みたいに飛び跳ねるよりはじっくり座って観てたいっていう人は少なからずいると思うんだよね。
いい年したオッサンにはそういう応援は無理だし。
それでも俺はチームを愛してるって言う人とか。
静岡には何人もいたから、多分全国でいると思うんだけど、
そういう人たちはスタジアムのどこにいるんだろう?とか。
普通に考えればメインスタンドなんだけども…
メインスタンド、バックスタンド上部は高い。
だからといって、応援してるとこには行きづらい。
とか言う理由で自宅観戦とかになってたりしないのかな…とか。
なんか、YouTubeとかで見る限りでは、
セリエAとかプレミアとか、普通のオッサンとかが普通に試合観て喜んでたりするけど、
ああいう感じの文化って無いような気がするよね…
テレビで観ちゃうって言うか。
スタジアムまで行くのはよっぽど好きな人…というか。
必然、集合した人たちはそういう応援スタイルになるのかも。
で、何が言いたい?と言われると困るけれども、
なんかもうこれが、プロ野球黎明期から繋がる、
日本のスポーツ観戦スタイルと思わざるを得ないかなと。
静かに観たい人は自分でそういう環境を用意するとか。
そういえば、子供の頃大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)と、
ジャイアンツのオープン戦が草薙球場で行われてて、よく行ったんだけど。
あのときの内野席の雰囲気って欧州サッカーの描写に似てるのかもしれない。
静岡の老若男女にとって、プロ野球の試合なんか滅多に見れないもの。
大抵はジャイアンツファンだけど、大洋の選手だって知ってる選手はいるし、
滅多にない機会だから選手の一挙手一投足を固唾を飲んで見守る。
初めて間近に見る桑田のストレートはめちゃめちゃ速かったし、
駒田は内野練習で変化球投げてたし(笑)
応援歌なんてひとっつも知らない老若男女が、
それでもチームと野球が好きで試合をじっと見守って、
ファール1つで歓声が起きる…あの雰囲気は今思い出しても良かったなぁ。
ま、応援の楽しさは分かるんだけどね。
麻薬みたいなもんだからね。。