でも、読んじゃったんで書く。
もう生きる事に疲れた。旦那が、主人が、夫が、嫁が、家内が、って言い訳めいた言葉がついた時点で私はそんな文章は読む気がしない。もう疲れた。お前らの首には首輪が嵌ってるんじゃないか。表現するなら人生の「連れ」でいいだろ。
ただ、批判はWEB界隈のあちこちに沢山落ちてるから、もうお腹いっぱい。
僕には、hashigotanは理解できないし、
理解できないと言うことも知ってるし、
それが、今なのか、いつまでなのか、ずっとなのかはよくわからない。
とりあえず感じたことを端的に書くと、
傷付くことと、傷つけることとは、1対1じゃないのだなと。
簡単に言えば、誰も傷付けようとしていないのに、
半ば自傷気味に傷付いてしまうこともある。
誰かが傷付いているからと言って、
必ずしも、傷つけた人が存在するわけではない。
ことさらに犯人捜しや、罪状探しをしても意味がないこともあるんだね。
今回の場合はそれ。
自傷、ないしは、自損事故。
自傷なのか、悪気のない過ちなのか、は、
傷つけることを自覚し得たか?という点が重要だ。
hashigotanは、それくらい自覚しろと言うのだろうけれども、
例えば、僕には全く無理だ。
なぜなら、僕はhashigotanさんなんか知らないから。
そういう僕から見れば、自傷と逆恨みでしかない。
でも、別にそれを止めろとか、良くないことだとは言わないよ。
僕に出来ることは、見ていることだけだ。
それが今のあなたにとって必要なことなら、好きなだけしたらいいと思う。
あなた自身の問題の本質が、
それをするかしないか、にはないから、
無理矢理止めさせても、特にこれと言って意味はない。
本人は、自分の外側に原因を強く求めている。
自分語りをしている割には、容疑者への追及が苛烈だ。
でも、それも、自由にしたらいい。
そのことが、他人の痛みや、自分の痛みすらも、
よく知らないのだということを晒すことになろうとも、
後で気付くときが来るだろうから、
とりあえず差し当たっては、感じたとおりに行動すればいい。
きっと、何らかの結果が出て、
また違う状況になるだろうから。
その状況が良いか悪いか、
それでhashigotanが幸せか不幸せかなんてことは、
ま、僕には全く関係ない。
次見掛けるときに今より幸せそうなら、良かったね、と思うし、
今より不幸せそうだったら、あらら…と思うし、
今より荒れてたら、黙ってページを閉じる。
それだけ。
思い出したのは、飢餓の極みで、幻覚相手に拳を振るうような、
多分どっかの映画で見ただろうシーン。
きっと、そのうち疲れて眠るだろう。
起きたら、お腹いっぱい食べたらいいと思うよ。
パンがないならケーキを食べればいいじゃない。
ケーキがないなら、タンポポの葉でも炒めてお食べ。
それもなければ、水でも飲めばいいのよ。
起きても食いたくなかったら、食わなければいいよ。
それで餓死することになっても、それも、
ま、僕には全く関係ないしね。