この本の中の表現を受けて書くなら、
プロレスファンというのは、プロレスというファンタジーの中に入り込んで、
一緒にそれを楽しんでいる人たちだから、
裏側とか、真実とか、知る必要はないんだと思う。
全部セメントで、エースが一番強い。
うん、それでいいよね。
で、この本は。
プロレスのエンターテイメント性をあからさまにして叩いている本…では全くなく。
それよりも、もっと深い、裏の裏の裏的な何か。
真剣勝負といっておきながら、実はシナリオが決まっているのがプロレス、
でもその中で、1976年のアントニオ猪木は、プロレスラーでありながら真剣勝負を3試合やり、
結果的にそのことが、複数のレスラー、格闘家の意識を変え、
現在の日本のような、
プロレスと格闘技がそれほど遠い位置にいない特殊な状況が出来たのだ、
それらを理解するためには、プロレスがどういうものかを知った上で、
その中で動くレスラーの心情を把握しながら、
あからさまに言う必要はないけれど、
1976年の猪木を知る上では、状況をきちんと把握した上で、
事実を捉えて行かなくてはいけないんだよ、というような。
プロレスファンが読んだら違うのかもしれないけど。
(他の様々な場所と同じく、色んな派閥があると思うし)
僕には、どこに偏ることもなく、
膨大な証言と資料を基に、プロレスの歴史を描き出してみた、
そんなジャーナリスティックな感じが、心地よく感じられた。
アントニオ猪木と、猪木寛至の、
ぶれたり曖昧になったりしている、その融合体的な何かが、
本人からインタビューを取れなかったという事情もあって、
証言のない空白の人型として浮かび上がっているような。
ホントにプロレスのことはよく解らない僕だけど、
スポーツ・ジャーナリズムとして、凄く楽しめた。
意外かもしれないけど、凄いプロレスに興味沸いたんだよなー
1976年のアントニオ猪木 柳澤 健 文藝春秋 2007-03 by G-Tools |
そういえば。
大学の時の先輩が、プロレスラー百田光雄の親戚、だったっけかな…
そんなこと言ってた様な気がするんだけど、
え、てことは、力道山の親戚ってこと?
うーむ。
うろ覚えで事実かどうかは微妙だけど。
百田違いかなぁ…