定義を調べると、こういうことらしい。
所謂「コミュニケーション能力」において劣っていると判定され、またそのために、「コミュニケーションの舞台」にあがる意欲が減衰し、所謂「コミュニケーションの舞台」から退却している人。「協働」「フレキシビリティ」「情動」「差異」が重視されるいわゆる「ポストフォーディズム(情報化社会)」化の社会において不利になるとされる。(逆に規律訓練型権力の下での教育では「無駄なコミュニケーション」は排除の対象である)
まぁざっくり言えば、人とのコミュニケーションが苦手な人、だろうか。
(厳密にはその結果起こりうる事象などを含めた、全体に関する言及なのだけど)
んー、自分では、そういう感覚を持ったことがあんまり無いんで、
どういうコトか認識しづらいけど、
あ、いやでもそれは、最近の話(大学以降)であって、
高校のあたりは、結構1人とか、2?3人とかでいる時間が長かったかもな。
クラスの中心的人々は、あんまり得意じゃなかったし。
んーで、自分がどの程度、“非コミュ”かを調べるテストがあったので、やってみた。
socioarc | 非コミュ指数テスト αver.
結果は…
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まぁ、正直面白くも何ともない。
全く、要素無し。
まぁ、君が現状どうなのか、を調べるようなんで、当然か。
正直、気持ちが分かるとは言い難いけれども、
状況は記憶にあるんだよね。
さっきも書いたけど、高校の時は…浮いてたというか、距離があったという感じ。
この分類で言うと、無関心型が突出してる感じか。
別に周りをバカにしてたとか、一人で良いやとかではなかったんだけど、
苦労して、気を遣って、常に仲良く、とか思わなかったんだよな。
コミュニケーション能力って、天賦の才だけなのかなぁ…
大学受験で浪人して、
寮ながら親から離れて、一人で名古屋に一年間住んで、
そうして吹っ切れた後の自分を考えると、
あんまりそうも思えない、状況次第で変わるんじゃない?と思うんだけど、
かといって、自分が何でそうなっていったか、
自分自身と、状況、偶発的な原因の関係も上手く説明できないから、
何とも断言できないなぁ…
ま、1つだけ言えることは、友達に恵まれたってコトかな。
そういうね、無駄に仲良くする必要なんか無いけど、
大事な友達のことはキチッと見て、話が出来る、
そう言う友達が、20歳以降、身の回りに沢山いたからな。
そういう、友達のおかげだと思うな。なんとなく。